いろんな意味でインドは、まだ急成長を続ける市場なんだなぁと思う。

インドといえば、つい最近思い浮かべるのは、バスの中でカップルが襲われ女性が散々性的・肉体的暴行を加えられた挙句、路上に放置され死亡した事件。
何が印象的かといえば多くの通行人が見て見ぬ振りをしていたと言う点。
他にも我々日本人の正常な倫理観からは信じられない事件と言うのも起こっている。

まぁ、今回の代理母出産に関して倫理的にどうこう言う気はない。
賛成か反対かでいえば、賛成である。

子供が欲しい人とお金が欲しい人で、需給バランスは取れている。
どんなに努力しても子宝に恵まれないカップルにとってはまさに最後の代理母頼みといった感じであろう。

ただ、代理母となる人の肉体的・精神的な負担は相当な物である事は危惧の一つである。
子どもがお腹の中で成長する過程で母親としての準備も徐々に整って行く。
それが、生まれたと同時に取り上げられるわけだからたまったものではない。
逆にいえば依頼する側の親はある日突然赤ん坊が現れる。
当然、親としての自覚みたいなものは普通の過程で生まれるケースと比べれば希薄な物になりかねない。
言い方が悪いが、ペット感覚で我が子を手にする事になる。
これが良いか悪いかは、結果的に虐待や育児放棄につながった場合あたかも、代理出産が悪かったという安易な結論に達してしまうのだけはさけられるようにしなくてはいけない。

賛成と言うのはどんな形であろうと、心から望まれこの世に生を受けると言うのは喜ばしい事なんだと思う。
だから、様々な危惧の材料はあるけどこういった人とのつながりはありだと思うし、生まれてくる子には幸せになって欲しい。

しかし、今更ながら日本でも江戸時代頃には代理出産(人工授精ではないかもしれないけど)的な物はあったんじゃないかと思う。
"最近の若者はすぐに仕事を辞めてしまう"

こんな、記事や意見をよく耳にしますが、その度私が思うことは"辞める"事が悪いのではなくその後、まともな仕事につけなかったり、引きこもってしまい社会の流れから取り残されてしまう事だと思ってます。

非正規労働者だって決して悪い物ではないのにメディアやたら負の面を強調したり、下手すれば企業側もいつでも使い捨て出来るバーゲンセール品みたいな扱いをしている事に問題があるのです。

話を戻しますが、若者が仕事をすぐ辞めてしまう結果、社会から取り残された貧困層が増えるというのには、辞めると貧困化の間にもっと様々な原因が潜んでいるわけです。

当然、政府やメディアなどは気がついているのに明確に報じない。多分話題として面白味も欠け、解決にかなりの面倒がかかるので避けているのでしょう。だから、結果的に多くの国民は真実も知らないし、興味すらわかないようになっているだけだと思います。

さて、ではすぐ辞めてしまう事と貧困化の間にある隠れた問題は何かというと私は2つ考えています。

一つは辞めてしまう人の未来思考と言うか要は今の仕事を辞めて今以上の収入ややりがいのあるどんな仕事をしようとしているのか?そのために今までの仕事の中から実際に活かせる/活かしてきた物は何で、どんなスキルが足らないのか?そしてどうやって身につけるのか?

こうした就活でもにわか仕込みで考えてきた事を今の仕事を辞める前にもっともっと真剣に考えていないからドンドン負のスパイラルにはまってしまうのです。
逆にドンドン成功を収めて行く人はコロコロと職を変えても全て自分の中で綿密に組まれたライフブランの一つとして、直ぐに次の行動に移せるところが違いだと思います。

2つ目の問題は、そもそも若者がライフブランを描けない原因の一つともなっているかもしれませんが、日本のや企業が求人している仕事の魅力のなさ。

私も転職活動なんかで色々な企業な求人や実際に面接なんかで質問して思う事なんだけど、本当に面白そう、絶対にこの仕事をやりたいと感じるような仕事がない。
なんだかんだ仕事の内容は違うけど根本的な物は単なるワーカー。
やれ論理的な思考が如何の斯うの、ビシネス文章の書き方が如何の斯うの言うが、本当に仕事を楽しんでいる人間なんてごくわずか、稀に忙しさと楽しさを履き違えて猛烈に働くにともいるが、そんな姿から若者はおろか、ベテラン社員でさえ楽しい未来を思い描くのは至難の技だと思います。

実際、この2つの問題をどう解決するかはこれも大変で色々な事情があったり面倒な事があるのはわかるが、こう言った部分に切り込んで行く事も先々を見れば日本の経済回復の一つになるはずです。

何か自分の未来をそしてできればそれが日本の未来を楽しい物にできたらいいなぁと思う。

京成線で、成田に向かおうとたまたまきた電車に乗り込んだら、成田アクセス特急という成田駅を通過しない別ルートの電車だった。

まぁ、乗ったこともないし成田の一つ先で、折り返しの成田行きに乗ればいいやと、快適な旅を楽しんでいました。

…が、いざ、空港駅についてみたら成田方面へ行くホームに行くためには中間改札を通らないといけないことが判明。
しかも、本来と別ルートなので追加で結構な料金がかかるでないですか⁈

こんな時に限って、手持ちが全くなくせっかく成田まできたのに再び東京へ逆戻り。ガーン

まぁ、一つ学習した。2度とこの電車には乗るまい!
街を歩いてると、「あっ、服がかぶってる」とか「バックがかぶってる」とか、なぜか恥ずかしいと思う事ってあります。

一方でかぶっていても全く気にならない物ってのも良く考えるとあります。

じゃぁ、この違いってなんだろう?

◆かぶって恥ずかしい物
・服
・バック
・スマホのカバー(おしゃれなやつ)
・髪型

◆かぶっても平気なやつ
・サイフ
・携帯
・めがね
・家電

こうやって並べていくと、要は個性として何らか違いを見せたい物はかぶるのが嫌で、機能そのものに価値観が置かれるのは人と一緒でも気にならないのであろう。

例えば服だってユニフォームみたいに統一性を持たせるという機能面が重視されれば気にならないし、逆に女子高生が制服であっても個性を出した部分がかぶると嫌な物であろう。

バックだって、価格や利便性が表に立てば、同じものだって気にならない。

だから、としをとって人の目をサボと気にしなくなると、ものに対する執着もなくなるし、逆に人の目線を気にする人は身なりや身につける物にもいつも気を付けているんじゃないかなぁ?

結局、かぶっているかどうかを気にするのは、そうした人の目線に人一倍敏感な人が人の目に触れる物に対して強く個性を主張しているのだと思う。

人のエネルギーって会った瞬間にすごく感じる

よく「あった瞬間の第一印象で○割が決まる」というが最近ひしひしとそれを感じる。
普段はやる気があるんだかないんだか何だか自分の世界でひたすら仕事をして、ひときわ静まり返っているSE達を相手に仕事をしているからなおさら強く感じてしまうのかもしれないけど、偶に外回りをして新進気鋭のベンチャー企業の技術者や経営者は、発しているオーラからして違う。

「いそがしい、休みがほしい」などと口にはしているが、働くことやまぁ、プライベートも精一杯謳歌しているんじゃないかと感じる。

なんにしていても、こういった人と話をするのはすごく面白い。1時間程度のつもりが気が付いたら2時間経っていて慌てて次のアポイント時間をずらしてもらうなんてことはよくある。

こうしたエネルギッシュな人の特長は、絶対的なポリシーをもって生きている。
このポリシーは決して何かにメモっていることでもなければ、話している本人さえ今日言っていることを忘れているということもある。でも、話したことを忘れたからと言って明日全く違うことをいうかと思えば、同じことを聞けば全く同じ回答をする。自分の中でポリシーがガツッと一度っているのである。

他の特長としては、本心から笑顔で接してくる。本当に人が好きなのである。
営業回りなどしていると明らかに作り笑いや外面だけを作って接してくる人は、話していてよくわかる。
もともと、おしゃべりな方でない私は、そういう人の前では10分と会話がもたない。
話していてつまらないから、話が膨らまない。(なんか面倒くさくなってふくらます気にならない)

営業のプロフェッショナルを名乗る人が見れば、失格の烙印を押される態度であるが、相性が悪いものはどうしようもない。
むしろ短時間で切り上げたほうが双方にとって気が楽である(会社にとっては大きな損失であるが・・・)

とにかく、エネルギッシュな人は周りの人まで元気にしてくれることは間違いない。
エナジードリンクを飲んだところでまねできるようなそんなレベルではない気がする。

多分、できるブロガーであればこういった話題から「エネルギッシュな人の30の習慣」だとか「人の頂点に立つエネルギッシュな人になるために」なんてのでまとめが書けるのかもしれないけど、今の自分ではまだ無理。こうした思ったことを書き綴っていってそのうちまとめができればよいかと思っている。

最後に一つ言えることはエネルギーを感じる人は間違いなく仕事もプライベートも「できる人」でしょう。