新しい職場でattending surgeonとしての仕事が始まりました。

5年半のトレーニングの後ようやくアメリカでsurgeonになることができ、今までとのpositionの差を日々実感しています。思えば、卒後6年間は日本で何もできないのに外科医になったと勘違いしていたものですが、渡米した途端にsurgeonではなくfellow またはtraineeとしての扱いをされるようになり、片言の英語を話しつつnurseにひどい扱いをされてきました。長く厳しい道のりでした。

前の職場では後半から徐々にsurgeonと呼ばれるようになり、現職場で晴れて正式にsurgoenとなったわけですが、その途端に周りの態度が柔らかくなったことを実感します。例えば、今まで相手にされなった僕の片言の英語でも、相手からなんとか僕の言っていることを理解しようと努力してくれるようになりました。


さて求められる物も大分違うので、とりあえず今後数年間の目標をたてました。

1. 手術を増やす
2. 仕事を休まない
3. コメディカルと協調して仕事をする。敵を作らない。
4. 学生教育、論文といった新しい分野に挑戦する
5. ECMO program立ち上げにかかわり、そこからdevice, transplantの数を増やす
6. UNOS approved surgeonとなる

とりあえず、2,3年でこられが達成できるように頑張ります。

州ライセンスがなんとか取れました。州に因るものの外国人が州ライセンスを取るのは意外と難しいようです。今回私のケースでは、

1.USMLE4つの試験を7年以内に合格しなければならない

2.USの正規トレーニングプログラムで研修経験がなければならない

という二つの項目で引っかかりました。例外のほとんど認められていない、外国人の少ない州での手続きだったので、正直どのような判断が下されるか不安でした。

結果的には、

1.試験に長期を要した理由を説明

2.正規トレーニングに相当するトレーニングをアメリカで十分受けている

3.他の州ではライセンスを認められている

4.US Boardに相当する専門医資格を所有している(日本の専門医)

5.大学病院からのオファーをもらっている

などという説明をつけて、例外的にライセンスをいただくことが出来ました。

これで、事実上障害になる項目は全てクリアしたことになるので、あとは手続きの時間の問題で無事に就職することができそうです。ここ数年来の夢が叶うので喜ばしいことですが、また新しい職場へ行ったら色々と困難が待っているでしょうから、喜んでばかりいられません。心臓外科に限らないかもしれませんが、海外で仕事につくというのは結構難しいことです。今回身をもって実感しました。今回成功の原因を自己分析すると、努力10%、周りの優れた先生方の助け40%、運50%といったところでしょうか。自分の努力だけではどうしようもない運の部分が結構多くを占めています。こればっかりはどうじようもないので、私は自分の幸運に感謝するのみです。また、支えてくれた家族にも感謝し、これから恩返ししなければなりません。

心臓外科医としてなんとか第2ステージに立つことができそうです。ここからがまた勝負の毎日になるでしょう。



Case observation は無事に終了。保険会社も特例でアメリカンボードのない僕にお金を払ってくれるという話になり、これで直ぐに手続きは進むかと思ったら、病院の次の委員会が7月中旬までないと言うことでそれまで保留状態。VISAの切り替えて続きも、それがすむまでお預け。本当にどれだけ時間がかかれば、全てがクリアされるのだろうか・・・。まだまだ忍耐が続きそうだ。ちなみに初めの面接は昨年の9月でした。

今月も関連病院のカバーに送られています。今回は単身で1週間。前回に続いて開心術もあり、それなりに勉強にもなるものの、24時間コール体制で昨夜もchest tube insertion2度も呼ばれて疲れています。一刻も早く現状を抜け出したい。

World cup、日本は残念でしたね。いいところなしでした。やはり歴史的にみて決定力のあるFWの不在が日本の大きな問題のように感じます。よかったのは、本田と長友。香川は周りの期待が多きあった分期待はずれでしたが、おそらくそれが彼の実力だったのでしょう。大久保は何故使ったのか不明。チャンスをことごとくはずしていたし、最後はよいところにいても味方からパスが来ない状態にまでなっていたようです。8年前の絶対的な実力を持った中田や4年前の世界一のフリーキックのあった中村に相当する選手が今回は見当たらず、日本が最下位だったのは実力だと思いました。4年後に期待。