「間接」民主主義にはわけがある。

カシンです。これは、アタシ (50代・男) が、どうもアタシだけが知ってるっぽいことを書くブログです。

そもそも、政治はなぜ選挙で代表者を決めるんでしたっけ? 通信手段が発達した現代なら、全員で議論して全員で多数決をとって何をするか決める、直接民主主義でいいのでは??

と、思う人もいるかと思います。

実は、直接民主主義がうまくいくには、参加者全員に、ある程度以上の社会問題解決能力が必要です。

しかし、誰もが社会の問題を解決することを想定した社会は、逆に、うまくいきません。ほとんどの人は、他にすることがあるからです。パン屋はパンづくりに、運送業者は運送業に、マッサージ師はマッサージに、それぞれが自分の受け持ちの分野で専門性を発揮して、この社会は成り立っています。

だから、代表者を少数選んで。その人たちには社会の問題の解決に専念してもらう。その代わり、その人たちの生活はおおやけで面倒を見る。そういう間接民主主義の仕組みにしてあるのです。

ほとんどの有権者には、選挙の時点で、社会問題解決能力はありません。社会の問題を解決するには、何をすればいいのか。ちゃんと勉強して、ちゃんと調査して、ちゃんと考える余裕は、ほとんどの人にはないはずです。解決策をちゃんと考える。それは、問題解決に専念するように選んだ、代表者の仕事です。

有権者の仕事は。問題解決能力のある代表者を選ぶことです。ほとんどの人には、ある程度、人を見る目はあります。その、人を見る目を集めて、多数決で人を選べば、問題を解決できる人が見つかる仕組みです。任せておける人を選べさえすれば、ほとんどの人が自分の専門の持ち場を守りながら、社会全体がうまくいく仕組みです。

なかなか良くできた仕組みです。
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ところが。有権者は政策で投票先を選ぶ (どんな政策が役に立つか本当は知らないのに)。選挙公約で何をするか決めた。当選者は公約どおりにすればいい。代表者を何百人選ぼうが、党中央の決定どおり。当選者ひとりひとりに活躍の場は無し

これでは、せっかくの仕組みが生かされません。「政治不信」の正体は、これとアタシは思ってます。投票したって、ちっとも良くならないじゃないか。そのとおり。仕組みの使い方がまるっきり違ってます。
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お読みいただきありがとうございました。