アタシ(50歳♂)が聞いて欲しい本音を吐露するブログです。お読みいただきありがとうございます。
前回
の続き。
アタシが子どもの頃は、道徳の時間とか、生活指導で
- 自分が相手の立場だったらどう思うか考えてみなさい
といった指導が行われていました。
アタシは小学4年くらいには、その言葉を文字通りにとってはいけないことに気づいていました。
だいたいそういう話になるときは、自分が相手の立場だったら気にならないようなことがらだったからです。
ひとりぼっちになる
とか
選手に選ばれない
とか
チビと言われる(*1)
とか。
また、他人がアタシに対して「相手の立場に立って考える」と、ろくでもないことになることも実感していました。
発言を求められる
とか
試合に出される
とか
あなたも○○が欲しいでしょ
みたいな。いらねーよ。
アタシは
「相手が相手の立場だったらどう思うか」
と読み替えて解釈してました。
時代を先取りしてましたね(どや顔)。
- 大多数の人は同じように感じる
っていうことに気づいたのはもう少し後、中学くらいでしたか。
小学生のころは、むしろ、何で「相手が相手の立場なら」じゃなくて「自分が相手の~」なんて難しい、そもそも現実味のない言い方をするのかが謎でした。
つづく
お読みくださりありがとうございました。
(*1)つい最近「170以下に人権なし」が炎上するまで身長の低さに否定的含意があることは実感してなかったです(アタシは160)。運動音痴とコミュ障の方がアタシ的大問題でした。
5/25 続きはこちら。