北斎と広重 ① | Z ライフ

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こんばんは


前回に続いて中之島を散策しています。

日本銀行大阪支店を通り過ぎて、

フェスティバルホールです。

フェスティバルホールの向かい側にあるのが、中之島香雪美術館。
何かやってるのか、ちょっと覗いてみます。

北斎と広重
これは観ないといけませんね!

入ると、写真撮影OK でした。

葛飾北斎の富嶽三十六景はわが国を代表する浮世絵の名作として広く知られています。製作された当時、北斎は70歳を超えていましたがその年齢を感じさせず、青を使った鮮烈な色彩と大胆に富士山を描き出す構図は、今なお、多くの人々を魅了し続けています。
天才とも称されることが多い北斎ですが長い画業で不断の努力をかさねました。

美人投網図(びじんとあみず)
常磐津節の稽古会を知らせる摺物。北斎の絵では、場所の特定は出来ませんが、男女の投網の光景が描かれます。

仮名手本忠臣蔵 三段目 文化3年(1806) 北斎画

北斎と広重に関連した動きとして、18世紀後半から19世紀初頭、浮世絵の風景画にも革新へのきざしが見られる様になりました。
よく知られた名所が西洋画風に描かれ、目新しいものとして受け入れられていったのです。
江戸の人々の好奇心や探求心がこの後の「富嶽三十六景」「東海道五拾三次之内」の大ヒットにつながっていきます。

北斎漫画 初編 文化11年(1814)
北斎の代表作の一つ。北斎が名古屋滞在時に描いた版下絵を画集にまとめ、名古屋の版元永楽屋東四郎と江戸の角丸屋甚助が共同で出版しました。
漫画とは、現代のものとは違い、漫然と描いた図という意味合いです。

北斎漫画 三編 文化12年(1815)

肉筆画帖(にくひつがじょう) 天保5年(1834)

鷹 天保11年(1840)

北斎の画室模型
北斎は、本所割下水(現在の墨田区)で生まれ、生涯に90回あまりも引っ越したと伝えられます。この模型では、83歳頃の北斎が榛馬場(現在の墨田区両国)に娘と暮らしていたときの様子です。


北斎の「富嶽三十六景」の刊行が終了したころ、歌川広重による「東海道五拾三次之内」が始まります。江戸から京都に至る東海道を描いた全55枚のシリーズで、広重は風情ある新たな風景画を創りだしていきました。北斎とは異なる作風の創造への挑戦でした。

歌川広重は「富嶽三十六景」の刊行当時、30歳半ばで風景画を描くもヒット作のない一介の浮世絵師過ぎませんでした。そこからどのように自らの画風を打ち立てていったのでしょうか。

東海道五拾三次之内 品川 日之出 天保5~7年(1834~36)
東海道の最初の宿場である品川宿を大名行列の最後尾が通過する様子を描いています。

東海道五拾三次之内 三島 朝霧 天保5~7年(1834~36)

東海道五拾三次之 原 朝之富士内天保5~7年(1834~36)

東海道五拾三次之内 蒲原 夜之雪 天保5~7年(1834~36)

東海道五拾三次之内 鞠子 名物茶屋 天保5~7年(1834~36)

東海道五拾三次之内 御油 旅人留女 天保5~7年(1834~36)
御油(ごゆ)の旅籠屋の前で腕をつかまえ、あるいは首を引っ張って客を引く宿の女たち。


東海道五拾三次之内 庄野 白雨 天保5~7年(1834~36)
突然の白雨(夕立)に帰りを急ぐ旅人の姿が描かれています。


広重の作品はまだ続きます。


ではでは