岡崎城 | Z ライフ

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こんばんは


前回の続きで、岡崎城に入ります。

岡崎城
15世紀中頃(室町時代)、西郷弹正左衛門頼嗣(さいごうだんじょうざえもんよりつぐ)が現在の岡崎城の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。
1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本多氏、水野氏、松平氏、本多氏と、歴代譜代大名が城主となった。石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられる。
現在の天守閣は1959年(昭和34年)に復興されたものです。


用材(ようざい)
明治6年(1873)の廃城令により取り壊さ れた岡崎城の建物に使われていた柱材。3本 ともケヤキ材。柱のほぞに「宝暦三年八月」 と墨書されており、宝暦年間(1751-64) の 岡崎城大修理の際に用いられたと考えられる。

天守台石垣と穴蔵
岡崎城の天守は、天正18年(1590) に城主となった田中吉政の時代に創建されたと考えられる。天守台石垣は花崗岩の自然石を用いて築かれている。北・東面には巨大な鏡石が入る。城内で最も古い石垣である。天守台の石垣の内部は、地階として石垣に囲まれた穴蔵となっている。

心礎(しんそ)
この巨大な石は、かつての天守を支えた心柱(しんばしら)の礎石である。岡崎城の天守は、元和3年(1617)藩主 本多康紀(ほんだやすのり)の時代に三層三重、地下一階、井戸櫓と附櫓が付属する望楼型(ぼうろうがた)複合連結式の天守として再建された。心柱は天守のほぼ中央の心礎の上に建てられ、ほかの柱より太く、天守の最上階である3階の床下まで貫いていたと考えられる。心柱を用いた 天守の例は少なく、望楼型の天守で礎石が現存するのは、姫路城と岡崎城のみである。

龍神伝説
霧降山とも呼ばれるこの地は、築城以前は古松老杉が生い茂り、山全体が霧に覆われることも多く、そこにある井戸には龍が棲み、時々出てきては菅生川(乙川)で水遊びをしたという。それから幾百年、西郷頼嗣(さいごうよりつぐ)が、龍頭山と呼ばれ「あたかも龍がとぐろを巻くが如き」地形のこの地に城を築いた。
ある日、この城地に、紅の袴(はかま)に柳の五衣(いつつぎぬ)を着た高貴な乙女が現れた。「私は久しくこの地に棲む龍神なり。私を鎮守の神として崇め祀れば、この城を守護しずっと繁栄させよう。」と告げると、凄まじい勢いで井戸の水が噴き出し天高く上がり、瀧のように龍神の身に注ぐと一群の黒雲が包み、龍神の姿はたちまち消えてしまった。驚いた西郷はこの地に龍神を祀り、永くその加護を求め、城の名を「龍ヶ城」、井戸の名を「龍ヶ井」と呼んだ。それから毎年、龍神が城に現れたという。
また、天文11年(1542)12月26日、家康が城内の邸で生まれた日、天空に金鱗の龍が現れ、家康が三河統一を果たすまでに、三度も金龍が出現したという。
他にも、松平氏が岡崎城に入り、敵が攻め来ると、常に雲霧が覆い隠して守ったり、参勤交代の行列が城下を通る際は必ず雨が降り、雲霧で城櫓を見させなかったという、龍神の加護にまつわる伝説も伝わっている。

南切通しの怪物
江戸時代後期、岡崎城の南切通しで、異獣」が討ち取られた話。 天保10年(1839)8月21日夜8時前、城主以主本多上総介忠民(ほんだかずさのすけただもと)の家来 狭間弥一兵衛(はざまやいちべえ)は、櫓修復の足場から異形の者が飛び降りてきて、 組み合いになった。生捕りにしようとしたが、毛が長く、取り逃がし そうになったので、抜き討ちに一刀に切り捨てそのまま帰宅した。下男に見に行かせると、犬ほどの大きさで、尾は猫のようで長く赤毛が混じり、 四本足は猿に似ていて五本指はしっかり揃っている「異獣」が、血に染まって死んでいた。
いくつかの文献に類似の記述があるが、『天保雑記』には藤川整斎によってその衝撃的な姿がはっきりと描かれている。

岡崎の化け猫
いわゆる「岡崎の化け猫」は、主に岡崎に現れる古老談と、東海道 宿の古寺に現れる歌舞伎の狂言の2系統がある。 
岡崎城に出る化け猫は、城内に棲む真白な老猫で、二の丸御勝手口 や若侍の詰所などに現れたり、夜中に音もなく襖を開けて、行燈(あんどん)の油 を舐めて人を驚かしたという、ある時、 岡崎城御出入大工の弟子が 板屋町に行く途中、真白な大猫が尾を頭上に載せ、尾の先をつかんで 突っ立っているのに遭い、仰天して10日ほど病気で込んだという。 またある晩、宿直の待二人が静かに寝入っていると、胸先を押さえつけるものがあり目を覚ますと、大猫がのしかかっており、取っ組み 合いになった。
茶坊主がいさめに 来ると、なんと 待二人で構み 合っていた。猫に 化かされたと いうことだ。 一方、歌舞伎の脚本の一幕で有名になった、通称「岡崎の描」は、化け猫となった老母が東海道宿の古寺に現れ、踊る猫と共に行燈の油を舐め、人を食い殺す恐ろしい怪猫の話で、浮世絵にも多く描かれている。



火縄銃

天守からの景色


この後は大阪に帰りましたよ。


ではでは