やっと暗峠 | Z ライフ

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Z32を長年乗り続けています。
Zに関する情報を載せていきます。

こんにちは❗


前回の続きです。


近鉄奈良線枚岡駅から国道308号線を暗峠目指し、てくてく歩きます。



やっと暗峠ですよ🙆


奈良県に入ります☺️



奈良県側から大阪を見る❗



石畳で国道308号線、車走ってええの?❔



丁度いい時間なので、お昼しようと思ったら、休業中ですがな😭

腹、減ったー



説明が書いてあります。


峠付近の石畳

昔 大和郡山藩 柳沢家の本陣がここにあり、雨でぬかるんでも歩き

やすいように敷かれたとされています。


暗峠について

暗峠の名前は、最初、鞍のような嶺ということで鞍ヶ嶺峠と呼ばれて

いましたが、松や杉が繁り峠付近を暗くしていたので、いつの間にか

暗峠と呼ばれる様になりました。


暗峠を越えた松尾芭蕉について

「菊の香にくらがり登る節句かな」

1694年9月9日に芭蕉(51歳)が奈良から大阪に来るとき、暗峠を越えた

時に詠みました。

9月8日に伊賀上野を発ち奈良に一泊し、9日に暗峠を越え10月12日に

大阪(南御堂前、花屋仁右衛門の賃座敷)で午後4時頃、亡くなられました。


暗峠奈良街道について

江戸時代に生駒山系を大和に越える管道は、暗峠奈良街道と竜田街道

の二本で明治25年大阪鉄道(現在のJR)が開通するまでは奈良と大阪を

結ぶ最短路でした。

暗峠奈良街道は明治になって県道になり、奈良街道と言っていたが、

すぐに大和街道、そして現在、国道308号線となった。

江戸時代には、この暗峠奈良街道をたくさんの人が往来しています。

20軒近くの茶店や旅籠が建ち並び、伊勢参りの人々で賑わいをみせ

ました。





奈良県側に入ると急に道が広くなりました👌



食べ物屋さんがあったので昼ごはんします☺️


ゆっくりした雰囲気の良いお店でした👌



これが説明にあった大和郡山藩 柳沢家の本陣ですね。



奈良方面は、バスがある❗ でも、1日4便かよ😁

ここからは下りです☺️ てくてく🚶


続きは又、ではでは❗