こんにちは❗
前回の続きです。
近鉄奈良線枚岡駅から国道308号線を暗峠目指し、てくてく歩きます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210505/13/z32629/f7/78/j/o1080081114937073468.jpg?caw=800)
やっと暗峠ですよ🙆
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210505/13/z32629/1e/e5/j/o0810108014937073473.jpg?caw=800)
奈良県に入ります☺️
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210505/13/z32629/86/b8/j/o0810108014937073480.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210505/13/z32629/d2/22/j/o0810108014937073485.jpg?caw=800)
奈良県側から大阪を見る❗
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210505/13/z32629/d6/8f/j/o1080081014937073490.jpg?caw=800)
石畳で国道308号線、車走ってええの?❔
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210505/13/z32629/49/b0/j/o1080081014937073493.jpg?caw=800)
丁度いい時間なので、お昼しようと思ったら、休業中ですがな😭
腹、減ったー
説明が書いてあります。
峠付近の石畳
昔 大和郡山藩 柳沢家の本陣がここにあり、雨でぬかるんでも歩き
やすいように敷かれたとされています。
暗峠について
暗峠の名前は、最初、鞍のような嶺ということで鞍ヶ嶺峠と呼ばれて
いましたが、松や杉が繁り峠付近を暗くしていたので、いつの間にか
暗峠と呼ばれる様になりました。
暗峠を越えた松尾芭蕉について
「菊の香にくらがり登る節句かな」
1694年9月9日に芭蕉(51歳)が奈良から大阪に来るとき、暗峠を越えた
時に詠みました。
9月8日に伊賀上野を発ち奈良に一泊し、9日に暗峠を越え10月12日に
大阪(南御堂前、花屋仁右衛門の賃座敷)で午後4時頃、亡くなられました。
暗峠奈良街道について
江戸時代に生駒山系を大和に越える管道は、暗峠奈良街道と竜田街道
の二本で明治25年大阪鉄道(現在のJR)が開通するまでは奈良と大阪を
結ぶ最短路でした。
暗峠奈良街道は明治になって県道になり、奈良街道と言っていたが、
すぐに大和街道、そして現在、国道308号線となった。
江戸時代には、この暗峠奈良街道をたくさんの人が往来しています。
20軒近くの茶店や旅籠が建ち並び、伊勢参りの人々で賑わいをみせ
ました。
食べ物屋さんがあったので昼ごはんします☺️
奈良方面は、バスがある❗ でも、1日4便かよ😁
ここからは下りです☺️ てくてく🚶
続きは又、ではでは❗