Sが市長になって3年目になった頃、俺の精神はボロボロになりつつあった。
そのことは手記58で書いた。
Sの市長としての考えがわかればわかるほど、市政刷新ネットワークの愚かさもよく理解できる。そして、俺はその市政刷新ネットワークの手先なのである。
ただ、俺の表の顔の一つに、中高生の探究学習支援がある。
Sに代わって、中高生に「人口減少をふまえてこの町の課題を考える授業」をすることが俺にできることだ。
そのプログラムの中で「自分の将来を考えるワーク」をすることになった。
先生のリクエストは、勉強を一生懸命することの大切さ、大学とはどういうものなのかなどを伝えて欲しいというものだった。県庁所在地のトップ高校から早稲田大学という俺の進路を背景にしたものだろう。
ただ、俺自身は「勉強すること」「米を作ること」はどちらも大切であると考えている。そこに優劣はない。そういうテーマでワークを作るにはどうすればよいかとネット上で論文検索をしていて、これというものを見つけた。この論文に基づいてワークを作った。その導入はこういうものである。
みんなは、この町で生まれ、この町の中学校に進みました。
この町は、地方・田舎と言われる場所ですね。
そういう場所で生まれた人はどんな人生を歩むのでしょうか。
それは大きく4つのパターンに分かれます。
①この町で生まれて、この町で学んで、この町で働く人
②この町で生まれて、進学・就職で一度この町を離れて、この町に戻ってくる人
③この町で生まれて、進学・就職でこの町を離れて、
この町ではない場所で暮らしながら、この町のための働く人
④この町で生まれて、進学・就職でこの町を離れて、
この町ではない場所で暮らしながら、世界や日本のための働く人
僕の父や姉は「①」です。この中学校から地元の農業高校に進んで、実家の家業である農家を継ぎました。旅行以外でこの町から出たことはないです。
僕は「④」を目指しました。芸術鑑賞教室で演劇を見て、役者になりたいと思ったのです。そのために早稲田を目指しました。早稲田で英文学や演劇を学んで、卒業して売れない役者になりました。その時は、飢え死にしてもいいから役者で一生終わりたい、絶対この町には戻りたくないと思っていました。
ここまで進むと、中学生の目の色が変わるのがわかる。
自分の人生を考えるとは、職業や進む学校を選ぶことではない。
この町で生まれたことを受け入れた上で、では自分はどう生きるかを考えることなのだ。
つづく…