人口2万人の俺の町の知名度が上がった。

 東京の人と話していると、「お前、S市長のところの出身なんだ」と言われることが増えた。縁と人脈とで仕事をすることの多い演劇の世界の住人にも関わらず、俺はやや人見知りな傾向がある。そんな俺にとって、相手から話しかけてくれること、話題を振ってくれることはとてもありがたい。

 Sのことは知っているのと聞かれると、同じクラスになったことはないけど、同じ中学の同期でとても頭がよかったですと答える。

 「どうなの?」という問いには、Sのやっていることは正しいし、Sじゃないと俺の町は財政破綻に進む可能性があったと答える。

 「田舎なので、Sのやっていることを理解できない人も少なくないです。S市長の批判をしているのは、昔ながらの利益誘導型政治で利権にどっぷりつかっていた人たちですね。Sは元銀行員ですから、帳簿見るとそういうことわかるみたいですから」

 

 東京にも、S市長は公民館や美術館などの公共施設をつぶしているという噂は届いている。そう聞くと文化に関わる人は不安だ。しかし、そういうことではないですよと説明する。

 「S市長は、俺の町の伝統芸能である神楽の価値を認めて、その知名度を高めようとしています。また、俺の町の文化会館は地方によくある誰も使わないハコモノではありません。文化の発信もしています」

 「俺がふるさとに戻って最初にした仕事は、文化会館付属の市民劇団を立ち上げることでした。市民劇団の8割は中高生で俺が指導しています。今は定期公演を年2回実施しています。ちなみに、文化会館には付属の市民合唱団もあってその運営の手伝いもしています。今、俺の机はその市民会館にあるんです」

 そう伝えると東京の人もわかってくれる、S市長ってのは文化や教育の価値がわかる人なんだなと。つぶしているのは利権と絡んだ公金浪費施設であり、某政党と同じだという噂は間違いだということも。

 

 俺が市政刷新ネットワークの事務局であることは公表されていない。

 家族もご近所も、俺が山川さんにお世話になっていることは知っている。だが、議員の質問原稿や市政刷新ネットワークのブログを書いているとは思っていない。

  

 俺の表の顔は文化会館の職員である。

 そこで劇団の指導をする。中学・高校の探究学習のお手伝いも定期的にある。その合間で、依頼された映像作品の撮影・編集をしたり、シナリオ執筆を行う。

 農家は長女が継いで、早稲田を出た長男は演劇・映像・教育の仕事をしているというのが俺に対する世間の認知だ。

 だがその裏で、俺は反市長の文章を書いている。

 

 俺は、市民の誰よりもSの市長としての考えを理解し、その施策を支持しているつもちだ。高校の探究学習でも日本の人口減少、そこから予想できる未来の課題について先生や生徒と一緒に考えている。俺も生徒も先生も、S市長に対する支持・不支持を言語化したり、居眠り議員について触れることはしない。ただ、事実を知れば何が正しいのかは自ずとわかる。

 そんな俺が、夜中、S市長はニューヨークに左遷された人だと書いている。そのことを町の人が知った時、俺はこの町で生きていけるのだろうか、高校生や先生方はどう思うだろうか。…妻はどんな目を俺を見るだろう。

 

 最初は、市政刷新ネットワークの主張のために書いているんだと割り切っていた。

 しかし、市政刷新ネットワークの暴走が始まると罪悪感に苛まれるようになってきた。

 市政刷新ネットワークの支持者が現れ、彼らが俺が書いたでっち上げの内容を根拠に反市長を主張するようになると、罪悪感がふくらんできた。今は、表の顔と言う仮面を被らないと日常生活を送れない。

 

 家族が寝静まった深夜、仮面を取った俺は狂う。

 狂わないと、反市長の原稿なんか書けない。

 そんな日々が続くと、どちらの俺が本当の俺なのか、自分でもわからなくなる時がある。山月記の李徴のようだ。俺はいつか人間としての心を失い、虎になってしまうのではないか…。