私は、いくつかの理由があるのですが『本人が行きたいところに行ってくれれば』『決めるのは本人だから』という言葉が基本的に嫌いです。
一つは昨日のこの記事のような背後が透けて見えることが多いから。
他の理由としては、こういう理由もあります。
※毒吐きます。
子どもの自主性なるものを尊重している風の放置であることがけっこうあるから。
「説明会とか予約するから行きたい学校調べて見てって言ってるんですけれど、何にも出てこないんです」
と面談で言われることがあるんですけれど、当たり前では?とわたしは思う。
「行きたいところ」なんて言われても、子どもだってたぶんけっこう困る。
だってイメージ湧かないもん。
何のイメージも湧いてないのに、行きたいところ考えてとか言われたって、考えられるわけがない。
子どもが行きたいところを選べばいいのだけれど、最初から、探すところから全て任せてたって、子どもはなかなか動けない。
せいぜい
友達が言ってるところ
先輩が行ったところ
学校の人が言ってるところ
名前を聞いたことあるところ
近いところ
部活
こんなもんでしか探せない。
で、探すとそれだけ?とか言われたり、そこでどうしたいの?とか言われてなんだか塞がれた感。
子どもに任せてますとかいって、説明会とかに積極的に連れて行こうとしない親は、ダメ。
よっぽど主体的に動ける超優秀な子ならいいけれど、そうではないなら親がまず、いくつか見せるべきです。
それも、現実的なところを必ず。
オール3しかないのに、定期テストで300点も取れないのに日比谷なんて連れていっても、なんの現実感もないでしょう?
日比谷に連れて行ってもいいけれど、もっと現実的なところもちゃんと連れて行かねばいけない。
それも、いろんなタイプに連れていくべきです。
そうしていくつか見ていく中でやっと、いろんなイメージが湧いてくるのだから。
『決めるのは子ども』『行きたいところに』何も間違ってないです。
でも、個性だとかそういう言葉が先行しすぎて、その言葉を振りかざすようになってはいないかは、ちょっと意識しないといけないと感じます。