暇との付き合い | ZENT進学塾

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昨日、あるオープンチャットで遊び方がわからない子が増えているという話を目にしました。
 
 
ゲームやYouTubeがないとダメ。
 
 
親があれやったら?と提案して一緒にやらないと遊べない。
 
 
◯◯の絵を自由に描こうと言われると白紙のままになってしまうから途中まで誰かが描くなんてこともあるとか。
 
 
やりたいことがなんなのかわからない。
 
 
何をすればいいのかもわからない。
 
 
そういう子がどんどん増える。
 
 
ちょうど1週間くらい前に書いたこの記事の感じと近しい話でした。
 
 
 
以下、この記事の焼き回し+αです。

 
 
暇な時間をSNSや動画など、次から次へと新しいコンテンツを提供してもらうことに慣れてしまった子たちは、暇な時間というものに耐えられない。
 
 
どうやって暇と向き合えばいいのかわからない。
 
どうやって、暇を暇じゃない状態にしていくのかわからない。
 
どうやって、暇を暇のままやり過ごせばいいのかわからない。
 
 
 
渋滞で進まない暇な車内、ぼーっと外の景色を眺める。
 
雨で外出できない日、雨がやまないものかと外を眺め、雲の様子を見る。
 
たまたま遊ぶ約束が何もない日、寝っ転がって部屋の天井の模様を意味もなく見てる。
 
遊ぶ約束がなくても意味もなく外へ出て結局何もしないままにふらふらして家に帰る。
 
暇で暇でしかたなかった夏休みのある日。
 
遊び尽くしたおもちゃや何周も読んだ漫画しかない部屋に退屈を覚える。
 
 
そうした退屈な暇な時間。
 
こういうものに耐えられない。
 
 
 
暇な車内、謎の小人を頭の中で流れる景色の中を走らせたり、車のナンバーを足してみたり。
 
雨の日、たまたま部屋に入り込んできていたクモを見つけてじっと見ていたり。
 
それまで手に取ったことすらなかった親の本を本棚から取り出して読んことを試みてみたり。
 
何度も読んだ漫画をまた読んで普段気にしていない細かーいところを見つけてみたり。
 
通ったことの無い道を歩いてみたり。
 
そういう空白の時間からこそクリエイティビティーの発現や新たな発見はあったはずなのに、そういう真っ白な時間がなくなっていっている。
 
 
暇に耐えられないから、その暇を埋め尽くすが如くコンテンツを流し込む。
 
あるいは、暇すら与えないほどに習い事漬けにする。
 
 
さて、そうして育った人はどうなる?
 
 
 
ちょっと違くね?って思うかもしれないけれど
 
筋トレだって休めることによって超回復で筋肉は増大する。
 
学習だって、睡眠によって定着する。
 
精神はどうか。
 
暇な時間、休む時間が与えられなければ、大きく育たないように思う。
 
休む時間、何もない時間にこそ、器は育まれるのでは?
 
 
 
退屈な時間、暇な時間って、何もすることがないがゆえに
 
それまでの積み重ねてきた何かが発現する可能性を秘めているとき
 
新しい方向に向かう可能性を秘めているとき
 
なんじゃないの??なんて思う。
 
 
 
そういう空白の時間を食いつぶすがごとくコンテンツで埋め尽くしたら
 
新たな情報を処理するだけでいっぱいいっぱいで何かが発現する隙間が生まれない?
 
もしかしたら、情報を処理することにつかれて情報を処理することすらやめて
 
情報が通過するだけの存在にすらなるかも?
 
 
子どもたちを見ていると、そういう状態の子はけっこういるように思う。
 
スマホでYouTube、SNSを見ているときの、ゲームをしているときの無表情な「あの目」。
 
「あの目」の恐ろしさ。
 
 
 
 
とはいえ、これは子どもだけではなくて大人もそうなっているように感じる。
 
 
何で読んだかは覚えていないし詳細は違ったかもしれないけれど
 
「川沿いに座って沈みゆく夕陽をただじっと見つめている老人」という描写を強烈に覚えています。
 
実際にそんな人を見たことないけれど、光景は目に浮かぶ。
 
その、思い描ける老人の目は、「あの目」とは違う。
 
 
果たしてそんなことをしていられる大人がこの日本社会にどれだけいるでしょう。
 
なんもしなくていいと言われて
 
一時間ただただ座って眺めているだけのことができる人はいったいどれだけ…。
 
 
 
暇、退屈、そういうものと向き合う時間
 
暇、退屈
 
それらをそのままに受け入れる時間というものは、あったほうがいいと私は思う。
 
違うな、必要なものだと思う。
 
そういうところがゆとりや余裕なのであって
 
そこから新しいものは芽吹くと思うから。
 
 
もっと暇を持て余す社会のほうがいいんじゃないの?と最近強く思う。