記録することが当たり前となることによって低下する意識 | ZENT進学塾

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先日ふと思ったこと

 

 

学校の授業内容をしっかり聞いて理解できている子が少ない。

 


断片的な単語とかは

 

 

「〇〇でしょ?」と言えば「あーそうそう、先生そんなこと言ってました!」

 

 

てな感じで

 

 

「言われれば思い出す」っていう状況の子はいますけれど。

 

 

単語だけ覚えていて何なのかはわかってないパターンだらけです。

(単語だけでも覚えている子も少ないですが…)

 

 

私が授業をしていてもそういう子はいます。

 

 

お前の指導力不足じゃボケ!と言われればその通りです。

 

 

今言ったよね?って内容が理解できていなかったり

(それがごくごく初歩的な指示だったとしても)

 

 

先週の内容は完全に記憶から消えていたり。

 

 

繰り返します。

 

 

お前の指導力不足じゃボケ!と言われればその通りです。

 

 

すみません。

 

 

 

 

 

そういう聞いているのに理解していない子が多いですよーなんて警鐘ならしたって

 

 

うちの子はそんなことないですよ

 

 

俺は理解しているよ

 

 

とか思うはず。

 

 

これ、何が問題かって理解できてないっていう自覚症状がないことだと思うんですよね。

 

 

驚くほどにみんな理解していないんです。

 

 

繰り返します。

 

 

私の指導力不足です。

 

 

 

読解力の低下が叫ばれて幾年。

 

 

これはこれで大問題なのですが

 

 

聞き取る力、聞き取って理解する力

 

 

私は最近これを問題視しているのでブログでもちょいちょい書いているます。

 

 

 

へぇ…じゃあどうすればいいん?ってなるわけで

 

 

私なりの解はあるのでその取り組みはまぁいずれ。

 

 

 

 

さて、ではなんで聞き取る力が弱いのか。

 

 

ふと思ったのは

 

 

記録することが当たり前となっていること。

 

 

 

 

先日こんなことがありました。

 

 

学校の授業でユダヤ人の歴史について話がされているようで

 

学習指導要領外なんですが、テストには出るんだろうねってレベルでノート書いたりしている。

(その学校の社会の授業はどうなんでしょうね?という意見は置いときましょう。)

 

全然わかってなさそうだったので補足的に流れを説明しました。

 

一通り説明した後に私がホワイトボードに書いたあまりきれいではない(むしろかなり雑な)板書をパシャり。

 

後で見返せるように。

 

 

 

 

別に、その撮った子をdisるつもりはありません。

 

 

ただ、今って動画だったり画像だったりを記録するのが当たり前で

(しかも自分の力で記録するのではなく外部記憶装置に一瞬で記録する)

 

 

動画だって何度も見返せるのが普通となっている。

 

 

そういう世界で育ってきた子達って

 

 

記憶したり一回で理解しようと努めたり

 

 

そういう意識が薄れていているんじゃないの?とふと思ったんです。

 

 

 

実際のところどうなのかはわかりませんが

 

 

記録するのが当たり前で記憶することが当たり前ではなくなってきているというのは昔から思っていることで

 

 

例えばカーナビがあるので私も道をあまり覚えなくなりました。

 

 

バイクに乗っていたころは道を覚えていたのですがね。

 

 

そういうのがもっと初期の段階で子どもたちには起こっているのかな?と。

 

 

覚える覚えない以前に

 

 

動画の発達により理解するという意識まで薄れている。

 

 

 

うーん…あり得ないとも言い切れない。

 

 

意識させていく以外に方法はないのですが

 

 

その意識を作っていくところから

 

 

どうやればその意識が作られていくのか

 

 

まぁ、私なりには解はあります。

 

 

そういうレベルから丁寧に作り上げていくことをしないといけませんね。