リスニング
英語ではありますよね。
でも、最近思うんですけれど
国語のリスニングあったほうがよくね??
千葉県では導入されたらしいですね。
どこかの県でもあった気がするのだけれど…。
むかーし、中央大学杉並高等学校では
国語のリスニング試験があったんですよね。
私がまだ中学生のころでした。
いつまであったんだっけな…?
まぁいいか。
簡単だったし当時は「何の意味があるんだこれは!」と思っていたのですが
最近は必要なんじゃね?
と思うことが増えてきました。
授業中の感じとか普段の子どもたちの感じを見ていると
会話できていない子が多い
というか、意味を理解して聞いていない
言われていることが右から左に流れていく
そういう子が増えているように感じるからです。
もしかしたら前からいたけれど私が意識できていなかっただけかもしれません。
「〇ページのココと□ページのココやって」と言って
その直後に
「え?どこやるの??」となる子
多いですよ。
ものすごく多いですよ。
聞いてないわけじゃないんです。
聞き取れていないんです。
一つの指示でこうならば
当然授業中に色々しゃべっていることはほぼ聞き取れていない。
全部流れていってしまう。
こういう子はかなり多いです。
信じていないと思いますのでもう一度言いますが
本当に多いですよ。
とりあえず考えられる理由は四つ
①聞いているんだけれど、意識して聞いていない。
テレビをただ眺めている感覚で聞いている。
「聞き流している」と表現されるものはこれかなと思います。
②言葉がイメージや実際の物事とつながっていない。
語彙力と言ってしまえばそれまでですが
言葉が意味するものがわかっていなくて内容の状況が思い浮かんでいない。
お経とかを聞いている感じでしょうかね。
よくわかっていないけれど会話に混ざっている感じ。
わかってないのに笑っている子とかいるんですよね。
普段の会話の様子を見ていても、わかってなくね?みたいな子はけっこういます。
周りの雰囲気に合わせているだけの子。
③要点を把握できていない。
話のどこが肝なのかがわからない。
会話や話の部分部分の境界があいまいで輪郭を持っていないのかな。
上手く言えないけれど。
重要な部分はどこかという意識が薄い。
②とも近い気がするんですけれど。
その点テレビは凄くわかりやすい。
ここ笑いどころ!ってのを芸人さんたちとかが示してくれますからね。
④一まとまりの文での会話ややりとりがない。
家庭内で単語だけで会話していたりするとそうなるかなという気がします。
長いものはフリーズする。
普通の読解でもそうで、例えば絵本みたいな一文が短いものなら問題ないけれど
一文が長くなると修飾関係が怪しくなるし、わかりにくくなる。
会話や人の話を聞くというのでも同じで
単語は聞き取れる。
でも、長い説明は途中で訳が分からなくなってフリーズする。
ちょうどこのブログ記事が長くて字面を追うだけになってしまったように!(笑)
たぶんこんな感じだと思います。
で、こういうところをなおしていかないといけない子たちは多くて
つまりは「人の話を聞く」ということの意味を体得しないといけないわけで
そういうことがしっかりできているかどうかを見分けるためにも
ある程度の国語のリスニング問題って必要なんじゃないかな?と思いました。
思えばあの中大杉並のリスニングテスト
高校とか大学では黒板に全然書いてくれない先生も多いわけで
大学なんてほぼ書かない。
で、教授がしゃべっている内容を自分でメモって書いていかなきゃいけないわけで
そういうことがしっかりできないと困りますよってことだったのかもしれません。
なくなってしまったけれど。
学力というと単純なわけですが
そこに含まれる力というかそのために必要な力というか
そういうものは本当にたくあんあります。
それらをしっかり養ていかないと学力というものはなかなか伸びない。
聞く力
も一つの重要な要素としてお子さんを見てほしいと思います。