あれがやりたい
これがやりたい
日々、やりたいことはどんどん出てくる。
それが実現可能かどうかは別として。
ここでいう「やりたい」ってのは
三大欲求とか快楽のための欲ではなくて
「やりたい仕事」的な意味での欲。
快楽のための欲でも同じなのかもしれないけれど。
で、何でこんなやりたい欲が湧いてくるのか。
それは
「知った」から
なんですよ。
こういう仕事がある
こういう問題がある
こういうものがある
様々な情報を仕入れ
世の中のことを知って
だから取り組んでみたいと思う。
「将来やりたいことないの?」なんて
問いかけられたり問いかけたりするわけで
子どもは聞かれるたびに「うーん…」となり
親は聞くたびにはっきりしない返事が返ってきて「真面目に考えてないの?」なんてモヤつく。
でも、中学生で明確にそんなものが決まってることなんて稀。
だって
世の中を知らないんだもの。
そりゃあやりたい欲なんて湧いてこない。
いろいろな世界を見せて経験させて
で
だんだん世の中がわかってくると
「欲」は出てくる。
大人になるとたぶん「やりたいこと」は増えるんですよ。
知ってる世界が広くなるから。
そして大人は
現時点でそういう欲が自分にあるから
子どもも当然そういうものがあると思ってしまう。
人間は内発的にやりたいことが湧いてくるものだと
そういうもんだと思って
子どもに「やりたいことは?」と問いかける。
それは違うんじゃないかな。
「やりたいこと」というのは外発的なものだと私は思う。
幼い頃から何かのスポーツをやっていたら
そのスポーツがやりたいことになるんですよ。
その世界を知っているから。
その世界の知識があるから。
つまり
欲の根源となるのは「知識」なわけで
その知識をいろいろな経験を通して与えてあげることが
やりたいことがある人
↓
それに向けて学ぶ人
↓
実際に行動に移せる人
イコール
主体的な人
となっていくんじゃないかな。
「やりたいこと」を子どもに見つけてほしいと思うなら
いろいろな世界を知ることができる機会を
親がちゃんと与えないといけないんですよね。