深夜に場合の数、確率についての談義がひっそり行われておりまして
苦手とか言う前に、出来ないとかいう前に
まず、書けよって。
サイコロ3つ投げます。
和が12になる確率は?
とか
1,1,2,3,4の5枚のカードがある。
三桁の整数は何通り作れる?
とか
サイコロ3つなんて216通りしかない
たかが216通り、全部書けよと。
もちろん、最初から最後までずっと気合いゲーにするわけにはいかないから
計算で処理していくのだけれど
その前に、書けよと。
まず、全部書いてみるっていう経験がないと
抽象化へは至らない。
計算で処理していくことが苦手な子にはできない。
初めから
楽に解く方法なんてものを聞こうとしたり
楽な方法を誰かが教えてくれるのをボケーっと待ってるから
いつまでたっても具体的な経験が足りなくて
抽象化するための理解がままならない。
場合の数、確率が苦手な人は
「こうかもしれない」という想像力が足りなくて
「こうだった」という経験も足りていない印象。
様々な具体を通して概念を養い、かもしれないという想像力を養うことが大切なんです。
今の子たちって
かなり、抽象の世界に生きているなという印象。
さっきの記事じゃないですけれど
スマホってやつも、かなり抽象の世界な気がするんですよね。