当塾で配布している塾報11月号の抜粋記事になります。
今月は暗記について、これまでの過去記事なども再掲しつつ、改めてまとめていっています。
物事ってのは、何かと関連付けて覚えたほうが効率がいい。
何か具体的なイメージだったり、すでに知っていることと結びつけることによって、記憶はしやすくなります。
暗記作業が苦手な人(ここでの苦手は嫌いという意味ではありません)は、物事を単発なものと認識している傾向にあります。
例えば、「後鳥羽上皇は承久の乱で負けて隠岐に流された」という文。
苦手な人は、覚えるべきは単語だと思っているから「後鳥羽上皇」「承久の乱」「隠岐」という三つのワードを覚える。
そこにあるつながりを勝手に分断して、こうして言葉のみを覚えようとしている。
だから、いざ、問題を解くよというタイミングだったり、ちょっと違う聞かれ方をしたりすると、とたんに答えられなくなる。
そして、答えを聞くと「あーあったねそんな言葉」となったり、「え? それのことなの?」となったりする。
重要なのは単語一つ一つではなく、その単語を使ったひとまとまりの文であり、その単語から派生する様々なイメージであり、ストーリーです。
勉強でストーリーというと、歴史と認識しがちだけれども、そうではなく科目それぞれに存在するストーリーです。
そして、例えば上の例だと「そういや隠岐ってどこよ?」となり調べて「島根県」ということを知り、「島根?出雲大社とかか」とつながりさらに、「出雲大社と伊勢神宮が重要なんだよね。
伊勢神宮って三重だよね。
松坂牛とか伊勢海老とか真珠とかだよね」というように、知識の連鎖を作っていくことが、覚えるという作業です。
できる生徒はこれを自然とやる。
だから、放っておいても勝手に覚える。
何度か見ただけで、記憶として定着する。
なぜなら、リンクを張ることができる様々な事物を多く自分の脳に持っているからです。
国語の長文なんかを読んでいても、あるいは、数学の説明を聞いていても、この脳とリンクを繋ぎながら読み、聞いていく。
そりゃあ、理解度にも差が出るってもんだ。
本当は、こういうことは幼少期に具体的な事物に触れること、親との会話の中で身についていくことなのだけれど、近年はこういうことができない子が増えています。
具体的な事物を自分の脳に持っていない子。
たぶん、ネットやテレビゲームのせいで具体的な事物に触れる経験が減っているからなんだと思います。
あるいは、共働きで親と過ごす時間が少なくて、言葉のリンクが少ないままに育っていくか。
あるいは、小学生のうちに覚えるべきことを覚えないで過ごしてしまったか。
ま、こんな考察をしたって仕方がないし、それがしたいわけではない。
効率よく覚えようと思ったら、リンクを張るモノが必要です。
それが少ないなら、蓄えるしかない。
つまりだ、最初がすごく大変なわけ。ある程度の知識量が増えるまでは、全然覚えられない。
だって、リンクをはる先がキミの中に少ないのだから。
でも、少しずつ蓄えていくしかない。
するといつしか、覚えることはそんなに大変ではなくなります。