塾報先行記事です。
例年、見ているとできる子たち、特に理数系ができる子たちは、ブツブツ言いながら復習することが多い。
「AB=4で3:1だからCD=12で~」とか「ココがxで速さ60+yで~」みたいな。
すると不思議なもので「あれ?なんかおかしいな?」と気が付きやすい。
長さや数値の違和感が生まれやすい。
一歩引いた自分がいるんですね。
自分で自分に語って聞かせているんです。
キミたちも、誰かに説明しているときに「あれ?おかしいな」となった経験はあるでしょう。アレを、セルフで行うんです。
プログラマーがプログラムのデバッグ作業を行うとき、書いてあることだけを一行ずつアヒルの人形に説明していくというやり方があります。
ラバー・ダック・デバッグといいます。
アヒルの人形なんて、バカバカしいと思うでしょう?
でも、そうすることによって誰かに説明しているのと同じ環境を作り出して、違和感を感じ取りやすくしているんです。
あまりよくわからないけれど、むしろ、バカバカしいほうが「私はいったい何をやっているんだろう」と、自分を客観視しやすいからいいのかもしれません。
苦手な子たちは「解くという行為」そのものにいっぱいいっぱいで、一歩引いた自分がいない。
だから、出てきた答えに違和感も持たないし、ありえねーから!って答えを平気で書く。
さらに、何度も見てきた問題も解けなくて間違う。
言ってしまえば、解いているときに余裕が全くないんです。
余裕がないから、焦って内容把握も浅くなるという、悪循環に陥る。
英語にしても国語にしても数学にしても、理科社会にしても、すべてそうです。
解いている自分を俯瞰している自分の視点で問題を解くんですね。
メタ認知ってやつです。
自分の行動を客観的にとらえるということです。
頭の中にフランクという別の人を飼っていることにしましょう。
別にフランクじゃなくてもスミスでも太朗でも何でもいいです笑
そのフランクに、問題を解きながら説明していくんです。
「いいか、フランク、速さの問題だろ? とりあえずダイヤグラム描くだろ? で、ココを見るんだったでしょ?」って。
英語を読むときも、同じです。
「スミス 行く 病院に なんで? 体痛いからな。で、行った、そしたら? 骨折れてんだってよ。転んでたもんな。な、フランク」みたいな。
国語の論説も
「フランク、何言ってるかわかる? わからん? 俺もわからん。まぁ落ち着こうか、もう一回ゆっくり読むぞ。わかんねーな、いいか、先に行こう。あ、例えばだってよ。具体例か。……なるほど、理解。フランク、OK? ダメ? しょうがねーな」
みたいな。
バカらしいと思うかもしれませんけれど
冷静に、一歩引いたところから自分を眺めるということは、重要な勉強の方法なんです。