学歴を重視するのはなぜか。
学歴だけで人を判断することはできない。
学歴だけよくて使えない人はたくさんいる。(使えないって、なんて傲慢な言い回しだろうと私は思います。)
これは事実です。
だから、面接があったりインターンがあったりするわけですけれど、それでも、学歴フィルターなるものはたしかに存在します。
私は、一般的な就活はほとんどしないでここまで来ました。
理由は、就活がバカらしく感じていたからです。
こんなもので私の何を判断できるっていうのかね?と。
慶應という学歴を捨て去った生身の私のことなんて、たかが数回の面接ごときで判断などできはしない。
一様にスーツなんか着て、髪も同じように整え、くだらない。
周りも単なる化かしあいしかしていないじゃないか。
やりたいこととかないくせに、上っ面の美辞麗句を重ねているだけじゃないか。
企業側だってそんなことわかりきっているくせに、なんだこの茶番は?と。
システムがそうだから、そうなっているだけ。
誰も、このシステムそのものを変えようとしない。
何故なら、システムを変えることには膨大なエネルギーが必要だし、一律に皆、大体同じシステムで動いていた方が、分かりやすいから。と。
学生にしてはくそ生意気にそう考えていましたし、今でもそう思っている部分はあります。
そうではない就職のルートだって増えてきたけれど、それらはまだ、特殊ですし、歪んでんなぁと思うものの方が多いです。
いまだに新卒一括採用は主流です。(私はそれはそれで別にいいと思っています。)
そして、その際に学歴は必ず判断材料の一つとなります。
それも、大きな判断材料です。
なぜ学歴は重要なのか。
大人になって、さまざまな仕事をしていると、見えてくるものがあります。
理由は二つかな?と感じています。
一つ目。
全員が全員そうとは言えないのだけれど、基本的に、学歴が高い人は事務処理能力が高い傾向にある。
それもそのはず。
受験勉強ってほとんど事務処理みたいなものですから。
やるべきことは何か、それをいつまでに、どれくらい覚えこむのか、それらを駆使していかに効率よく難しい問題を解くのか。
クリエイティブな能力が活きる瞬間はものすごくたくさんあるけれど、基本は事務処理です。(と、私は思っています。)
だから、学歴が高い人は、それだけの事務処理能力があるとみなすことができる。
ゆえに、学歴を重視する。
それからもう一つ。
受験というものを本気でやり抜いてきた人たちは、「ガッとやる」のが結構うまい人が多い。
変な表現になってしまって申し訳ないのですが、ガッとやるんです。
一点集中で「今、ここ」という瞬間や、「この時間内で終わらせる」という短期的な集中力が高いように感じます。
やるべきことをダラダラやらない。
「今、これ」と決めた瞬間に、他のものは存在しないかのように、ダイブしていく。
(だからと言って、完全にないものとしているわけでもないってのがなかなか面白いのだけれど話がそれるので無視します。)
そういう傾向がなんとなーく感じられます。
それが受験である必要性はないのかもしれないけれど、受験に向けて勉強するのは、こういう能力を養っているのだなと感じます。
だから、企業は学歴を見る。
それはつまり学歴は、「そういう水準で」物事をやってくれるであろうという、ある種の担保的な存在だからでしょう。