春の足音と共に | ZENT進学塾

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先日荒ぶっていました。

あまりにも受験を、マーチを、偏差値60を舐め腐っている人が多すぎるので。

塾報とブログだけではなく、他のところでも荒ぶる魔人となり文圧をもってして暴れていました。

塾報に書いているような表現と内容で暴れていたのですが、私がいっつも書いてる文章って、こんなに破壊力あったんだとちょっと驚く程に、みんな絶句していました笑

 

 

さて、受験は大変です。

 

教えている立場でこんなことを言うのはおかしなものですし、苛烈さの一端を担ってしまっている分際のくせに何言ってんだと思われるでしょうし、自分でも思うのですが、可哀想だと感じるほどに大変です。

 

何もこんなに苛烈極まる戦いなんて、しなくたっていいじゃないかと思います。

心の底から。

 

でも、残念ながら受験は残酷です。不条理です。

みんな頑張ったから、みんな合格です。なんてことには絶対になってくれません。

だから、必ず誰かは落ちて悲しい思いをする。

 

これは仕方がない事だと思います。

それが闘いというものです。

そして、頑張ったからOK!なんて優しいことを言ってくれるのは、せいぜい小学校、中学校までです。

 

世の中は、頑張った奴らの中で、さらに良い結果を残せた人が選ばれる。

受験もそう、就活もそう、仕事を始めてからもそうです。

たまに、利権の塊みたいな酷いものや、コネじゃねかーかよってものもあるのだけれど。

 

 

けれど、受験というのは受かったとか、落ちたとか、そこに一番の意味があるわけではないと思います。

もちろん、受かれば嬉しいし、落ちれば悲しいし悔しい。

結果は大事です。

けれど、もっと重要な意味は、その目標に向けてどれだけマジで、本気でやれたかというところにあります。

 

私が受験を通して皆さんに経験してほしいこと。

それは、マジでやるってのがどういうレベルであって、それがどれくらい大変で、どれくらいおもろいのかです。

 

この三つがみんな、分かっていないんです。

特に、どれだけ大変かが一番わかっていない。

当たり前っっちゃ当たり前のことなのだけれども。

 

例えばね、富士山を遠くから眺める。

たしかに、デカい。

けれど、結局遠くから眺めているにすぎないから、麓までの距離もいまいちわからないし、マジの大きさも実感できないし、それに登るのがどれだけキツイのかって、イメージわかないんですよね。だって、せいぜい高さ3キロ程度ですからね。3キロくらい、皆さん楽勝で歩ける。

けれど、いざ登ろうとしてみると、東京から麓まで行くのに思っているよりも時間はかかる。

そして、麓に行って、初めて「え?こんなデカいの?」となり、登り始めて「え?まだ半分ですらないの?」となり、頂上にたどり着くころには意識朦朧の人までいる。

私は元気に楽勝で登れてしまったけれど、これは勉強で言えばはじめから偏差値80だったみたいな化け物か、たまたスーパー得意だったという特性です(笑)

 

 

受験もこれと同じで、というか物事全般だいたい同じなんですけれど、皆が漠然と思い描く志望校とか目標って、遠くから眺める富士山と同じようなもんなんですよ。

本気で「さ、目指してみようか」と思い始めてやっと、目的地までの距離がわかり、麓までがかなり遠いとわかる。

色々な単元を終わらせて、さあ入試問題やってみようというところまできてやっと麓。

まあ、富士山で言えば5合目かな。車でそこまではいけるので。

そこから登る。ここからが本当のスタートライン。

入試問題をやってみて、「今までやってきたのは一体何だったんだ…?」と思うような凄惨な点数を取り、やっと本当の高さがわかる。これが6~7合目くらいかな。思ってたより何倍も上るのに時間がかかるとわかる。

そこからやっと、本当のキツさがわかり、マジになり始める。

 

 

この状態に、どれだけ早くなれるか。

ここに受験というものは、目標を達成できるかは、かかっています。

みんな、漠然としか分かっていないレベルの、本当の高さをいかに早く認識するのか。

そして、認識したら、どれだけしっかりとそこへ向けて休まずだらけず歩いていけるのか。

たまに、私の富士山登山のように、たまたま特性があっただけの奴が信じられない勢いで後ろから意味の分からない速さで駆け抜けていってしまうのだけれでも、そんな人はほとんどいません。

 

中二の上のクラスは毎週数学で殺されてますね。

でも、アレが当たり前の水準なんですよ。受験ってのは。

あんなもん、ほぼフルマークで当然と思ってもらわねば困る。

上位校攻めるならね。

 

大体の人は、この状態になるのが、正しく高さを認識するのが非常に遅くって、「まあ、なんとかなるでしょ」とか考えています。

そうして、日々、本当はやれるはずなのに何もしないで過ごしてしまう。

受験が近づいてきてもなお、登る山の高さを見誤っている人もいます。

なかには闘いなんだということすら分かっていない人もいます。

そして、貴重な機会を失う。

 

 

貴重な機会というのは、「受かる」という意味ではなくて、しっかりと目標を見据えて、そのレベルを見誤ることなく、そのレベルに向けて邁進していく機会です。

その目標に向けて、血を吐くくらいやり込んでみる機会です。

そして、その結果を自分で受け入れる機会です。

 

 

受験というのは多くの人にとって、これまでの人生で一番大きなイベントごとです。

自分で自分の人生を歩みだす、最初の一歩目だと私は思っています。

その最初の大事な大事な一歩を、本気でやり抜くという機会を失てほしくない。

 

 

誰かしらは落ちてしまいます。

これは勝負事である以上仕方がないことです。

けれどここまで書いてきたように、しっかりと見据えて着実に登って行った人は、きっと、どのような結果になろうともそこから先の人生を、自分の力で切り開いていけると思います。

 

目標はどこだってかまいやしません。

べつに、上位校を掲げろ!とは言いません。

けれど、自分が楽をできるような目標は掲げてほしくありません。

マジでやってほしいから。

楽がしたいなら、ウチの塾には来なくてよい。その辺の坂道でも上って満足していればいい。夫婦坂くらいかね?

 

大変だけれども、その大変さがあるからこそおもろい、大変だからこそやってみたい。

そういう人であってほしい。

そういうことが分かる人になってほしい。

受験を通してそういう人になってほしい。

これは私のエゴかな?笑

でもね、きっと、世の中はそういう人が好きですよ。

 

だから、ぜひ皆さんも、なんとなくではなく、マジで、ガチで、受かりたくて気が狂いそうになるくらい、受験というものを本気でやってみてください。

きっとその経験は、皆さんの人生を生き抜く力となってくれます。

そういう狂いそうなくらい頑張る人を、私は心より応援します。

 

キミたちがそういうレベルを乗り越えて「受かった!」という感動を味わえることを、たとえ落ちてしまっても「やり切った!」と思え、今後の人生の糧となる経験をできることを、切に祈っています。

 

 

本日は都立入試ですね。

もう終わったかな?

 

どんな結果になるのかは分かりませんが、どのような結果になっても、一歩一歩着実に近づいてくる春の足音と共に、自らの歩みも止めることなく歩んでいってほしいと思います。

受験、お疲れ様。

 

そして、これから受験生となる非受験学年のみなさんも、同じように一歩一歩着実に、受験に向けて歩んでいきましょう。