近年は個性礼賛な傾向が強いと思います。
個性的であることは素晴らしい。
個性を発揮できるのは素晴らしい。
うん、まぁ、それぞれの人たちが、自分の適性に合った生き方が出来る社会は素敵です。
でも、ちょっと最近の個性って、はき違えて捉えられていません?と最近思っています。
個性的って、社会との関係の中で意味を持ちますよね。
その社会との関係をうまく構築できない個性というのは、個性的なのでしょうか?
関係を構築できない個性というよりは、構築していない個性というべきなのかな。
ごめんなさい。うまく表現できません。
人と違うことは悪い事ではない。みんなちがっていい。
そのとおりです。
でも、違うからといって評価されるのかというと、それは違う。
個性的であることは価値がある
という構図は成り立たない。
すくなくとも、現状のこの社会においては。
正しくはこうです。
社会から評価される個性は価値がある
です。
その価値があると評価される個性の中で、レアなものは価値が高いとされる。
レア個性がすべて高い価値であるわけではなく
むしろ、その逆であることの方が多いと思います。
それらは、社会化された個性ではない事のほうが、多いように感じるから。
私は、それぞれの個性を価値があるとかないとか、そういう判断はしたくありません。
でも、社会化された個性かどうかは、大事なのではないかな?と思います。
何でもかんでも個性的とか、それは個性だから仕方ないとか
そういう風潮は、あまりよくはないのでは?
個性という言葉を被って、我儘なだけじゃないの?と思うことが最近多いなあと思ったしだいです。