キミは、自分の受験結果に「満足」出来るだろうか。
いえ、別の聞き方をしましょう。
自分の受験結果に「納得」はいくだろうか。
同じ質問に思えるかもしれません。
でも、違います。
「満足」というのは字のごとく、満ち足りているということ。
これは、自分の最大限の、あるいはそれ以上の結果を出せて、後悔がない状態だと思います。
一方で「納得」は、結果を受け入れることが出来ているかどうかです。
私は、この「納得」を重視していきたいと思っています。
この「納得」には二種類の「納得」があります。
一つ目は、
自分が受験に対しやれるだけのことをやり、
真摯に、一点の曇りもなくやり通せたという意味。
二つ目は、
失敗したかもしれない。
けれど、その失敗の原因を自分の中に見つけ出せ、反省が出来て、
前向きに進む意思を築けているという意味。
一つ目の方はつまり、やりきったということ。
結果の良し悪しにかかわらず、やりきったという経験は気持ちが良く、「満足」につながるものです。
もう一方は、つまるところ、全力ではなかった部分があるという意味。
どこかで気を抜いていたり、手を抜いていたり、舐めてかかっていたという意味です。
その反省を自分の中に見つけられれば、それは「納得」につながります。
そして、次のステップへ昇っていけます。
これは、受験という一点においては失敗でも、人生という長いスパンで見れば成功です。
ですが、それを自分の中に見つけられないとき、
キミはいつまでも不全感を抱えて生きることになると思います。
これは、受験も人生においても失敗です。
こういう思いを抱えている人は、結果を「人のせい」「運」にしがちです。
つまり、自分以外の外部に原因を求めるわけです。
けれども、結果の原因を外部に求めることにはほとんど意味はありません。
外部に原因を求めるのは、未熟さでもあります。
もちろん、自分ではどうしよもない事態で失敗することもあるでしょう。でも、今はそういう話じゃない。
さて、キミたちは自分の人生を「人のせい」「運」で過ごそうと思いますか?
責任を回避して生きるのは楽です。
でも、きっと、進歩のなく、生きている実感もないつまらない人生です。
私は、大変で辛いかもしれないけれど、
楽しい人生をキミたちに歩んでほしいと思っています。
そのために、
キミには人生は自分の責任であるという自覚のもとに、
考え、納得し、よりよい結果を得るべく次へと進んでいってほしいと思っています。
その方が、きっと人生が豊かで素敵なものになると思うから。
そして、そういう人たちが増えれば増え得るほど、
この世の中は良くなると思うから。
キミの行動の結果というのは
良いものも悪いものも含め
全てキミのもとへいずれ返っていきます。
すぐには返ってこない。
けれど、ふとした時に
あ、あのとき…となる。
そういうもんです。
それが自分の意にそぐわないものだったとき、
人は
「あの時ああしていれば…」「あの時の自分、なんでもうちょっと…」
となる。
有り得たかもしれない過去の可能性にとらわれる。
そうであってほしくはないな。
過去に有り得た可能性なんて
何の役にも立ちません。
重要なのは、今ある自分を受け入れて、いかにして未来を自らの手で作るか。
キミの受験が「納得」のいくものであってくれますように。