承認を求める社会 から派生 ~負荷とリアルな経験~ ⑭ | ZENT進学塾

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【リアルな経験を積む】

 

前回の続きです。これで最後です。

 

私はその時にもよりますが、雨が降る少し前にはなんとなく雨が降るのが分かります。

 

夕立などはほぼ確実です。

 

富士山登山以降、私は「天狗」と揶揄されるので、「また人外の能力か」と言われそうですが、たぶん人間なら誰しも持っている能力です。

気圧が下がるのを感じるのです。

きっと、子どもの頃雨に降られた時の感覚を体が覚えているんですね。

たぶんこういう感覚も消えていってしまっています。

 

 

現代はネットが世界を覆い、知識や情報は溢れている代わりに感覚と精神は崩れていっています。

「たぶんこうじゃないの?」と推察する能力も下がっています。

語彙力や、国語力が低下しているのもきっとこういうところに一因があると考えています。

文章を読んで、自分なりの経験に落とし込んでいけるほど、経験が無いのです。

 

前回、学校の中は個性が消えていっているのではないかと指摘しました。

個性は、脳だけでなく身体にも宿ります。

おそらく身体上の個性が今の子たちは薄い。

目がみんな似ているのです。

穏やかな目をしています。

同じような均質な空間で、無菌な過保護な明るい負荷の無い社会で穏やかに健やかに育ってきた。

そういう目です。良いことのようで、ちょっと違うのでは?という違和感が私にはあります。

 

それぞれが異なったリアルの中を生きてくるから個性が育ち、多様な評価が生れるのです。

その異なるリアルが無いから、みんながネットやテレビの中で見る「ノリ」を重視し(というかそれしか無く)、コミュ力一辺倒の評価になってしまう。

 

だから、私はもっと外に出ろと言いたい。

家にこもってゲームする時間があるなら、いいからスマホを家において外を歩いて来いと。

何もすることなくても歩いて適当に観察してればおもろいもんが世の中には転がっているから。

夜は危ないから早く帰ってきなさいとか、言わなくていいから!って思っています。

 

危険を感じ取る能力は生物の本能として持っています。

言われなくたって避けます。

たまにちょっと危ない目に合ったっていいじゃないかって、思うんですよね。

たぶん良くないよって世の中には言われてしまうのだけれども。

 

 

ネットで世界を知れる。

素晴らしく良い時代です。

ですが、脳が知るだけで身体は知らないのです。

リアルな負荷を与えられないと、きっ身体は覚えない。

ネット上は無限で広大です。

ですが時間的に停滞した世界です。

「気づいたらネットで2時間くらい遊んでいた」なんて経験は誰にでもあるのではないでしょうか? 

動きがある様で停滞した世界だから、時間感覚が崩されるのです。

 

 

しかし現実はそうではありません。

常に流転している世界です。

 

万物は流転する。

 

ヘラクレイトスの言葉ですが、人間関係も日々流転しています。

 

人間関係にしたって、勉強にしたって、運動にしたって、リアルの中でしか磨けなことはたくさんあります。

その流転する世界での感覚を養い、みんなそれぞれに違う経験をするために、外へ出ていかなくてはならないのではないでしょうか。

 

そうして得られる様々な経験なかでしか、本当の承認というものはえられない。

というか、承認されようと思ったら、そういうリアルに基づくものがないと発信する何物かが自分の中にないでしょう。

 

だから、SNSで他人の経験を羨み、その経験をした他人を承認する。

しかし、当の自分にはその経験がない。

だから、他人が経験した何かを真似することで、自分もその承認を得たことにする。

 

〈ブログに上げるにあたっての加筆〉

インスタ映えとか、まさにそうです。

他人がした経験をなぞって自分の承認を満たそうとしているのです。

 

昨今のSNSの状況を見ていると、そんな現象が起こっているように感じます。

 

もう少し、広い世界を受容できる感性が、今の子達に、そして私たち自身にも宿っていかなくてはならないなと感じる次第です。

 

長々書いてきたことはこれでおしまいです。

お読みいただいた方々、ありがとうございました。