貯まった貯金の使い道は?

 

私の場合―――

 

このご質問は…愚問となりますね!!………

 

( 雪月 剛のブログを一度でも視ておられた

なら

キッとお分かりになられるはず…… )

 

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2023年7月1日(月)

こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。

 

今日からは…いよいよ七月――――

 

今朝はアメーバ さんより

二編の「 リブログ 」が寄せられています…

まずはその一遍より………

 

〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉

どうぞ

よろしくお願いいたします~~~

 

過去の思い出を振り返り投稿しよう

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2023年7月29日(土)

画像 ビートルズ日本来日時の、貴重な体験ですよね! の記事より

 ​2021年7月29日(木)。 

きょうもアメバさんより、

 「 雪月 剛のリブログ 」のお報せをいただいています。

 

いつも 

ほんとうに感謝申し上げるばかりです。

 

ただいま、

東京オリンピック真っ最中であります

が、

新型コロナウイルスも増々の猛威を振るうような気配濃厚です。

 

7/29(木)、

28日の3177人を上回り東京都で新たに3865人の感染確認―――  

 

緊急事態宣言中に東京オリンピック開催

〈 お祭りと同意語ですよね―― 〉

とは 

辻褄がまったく合わない!

 

筋道の全然通らないのは自明の理ですよね!!


リブログに進む前

に、

今日も、とても参照となるネット記事があります

ので…

 

ほんの一部ですが

ここに

引用掲載をさせていただこうと存じます。


「 メダルラッシュで日本の世論はコロッと変わる 」

という予言が的中した理由

7/29(木) 6:01配信

ダイヤモンド・オンライン

 

● 「 予言 」的中!攻守逆転した賛成派と反対派
 
「 いやー、やっぱチョロいっスね、日本人は 」

「 メダルラッシュでガラッとムード変わりましたもんね 」

 

「 命を軽視するなとかヒステリックに怒ってたのはなんだったの? 」

 

 …なんてナメきった会話

が、

IOC幹部たちの間で交わされているのではないか。

 

ある「 予言 」が、見事に的中しているからだ。

 

 というのも、

五輪の中止・延期を望む意見が国民の半数以上を占めていた

今年4月、

 

IOCのコーツ副会長は

「 日本の選手が活躍すれば国内の世論は変わる 」

自信満々で言ってのけた。


まさにその通りになった。

 

● マスコミの「 キャラ変 」が日本の世論を一転させてしまった
 
   コメンテーターも

「 感動をありがとう 」「 勇気をもらいました 」

大ハシャギしている。


● 「 商売のために手のひら返し 」、方向性を変えたマスコミ

● 不買運動に負けた過去、戦争を煽れば新聞が売れる

● オリンピックは「 スポーツを介した戦争 」

 五輪でも、戦争報道と同じ問題が起きる。


~~~途中省略~~~

 

 太平洋戦争も最初は連戦連勝

で、

「 やっぱ戦争やってよかったなあ 」の大合唱だった

が、

最後は悲惨な負け方になった。

 

メダルラッシュで大勝ムードの五輪が、同じ道を辿らないことを心から祈りたい。
 (ノンフィクションライター 窪田順生)

窪田順生

 

それではリブログです~~~

画像 #ゾッとする〇〇 の記事より

権謀術数!?巧妙!!

テーマ:
 

『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』

 新パート19 
「 雪月 剛のブログ166 」パート97

 

前回、 

むかし  ?? いま は ??

------のつづき 

 

以前、やはり 「 雪月 剛のブログ 」 で扱ってはいるのです

が、

 

 非常に重要な人間社会の課題! ここに繰り返して往きます。

 

「 あとがき 」 

印されたのは、1983年六月十日の日付けとなって

おり、

 

第二次世界大戦 敗戦が告げられた

 1945年八月十五日より38年後のことでした--------


 アメリカ、メリーランド大学マッケルディン図書館に校正刷があるのを

識り、

        1982年、コピ―を取り寄せた。           

  

栗原貞子

(1913年~2005年)

著、

1946年6月、8月、自費出版。


『 黒い卵 』人文書院。1983年。

(占領下検閲と反戦・原爆詩歌集)

よりの引用。

 

世の学者先生がよく用いておられるような空論なんか何処にもない!

 

 それは それは、生の声です!!

 

では―――――

 あとがき 

 

占領軍の検閲は、日米講和条約発効により

 

日本が独立した後

も、

 

原爆タブ―の後遺症という形で長く尾を引きました。


そして、

「 原爆文学 」 といおうものなら、

 

「 原爆文学というジャンルがあるのか 」

 といって

冷笑される状態が続き、

 

被爆体験を持つ作家・詩人たちは

 

検閲の心理的抑圧と文壇内外の疎外に苦しみ、 

悪戦苦闘の果て、

 それぞれ痛ましい死をとげました。


原 民喜は自殺し、 

 

峠 三吉は過労で肺を病んで肺葉摘出手術の途中なくなり、

 

大田洋子は挫折のあげく旅先で急死し、

 

正田篠枝は原爆症による乳癌で悶死しました。


 原爆にとりくんだ作品

は、

文学全集にも収録されず、

 

七十年代になるまで長い間、

 

戦後文学の中で市民権をあたえられませんでした。

 

 しかし、

 

核の存在が全人類を脅かしつづけている

 核時代の今日、

 

原爆文学は避けられるべくも

なく、

 世界の共通のテ―マとして注目されるようになりました。


昨年夏、

『 大田洋子作品集 』 四巻(三一書房)が出版され、

 

今年夏には 

『 日本の原爆文学 』 全十五巻(ほるぷ出版)

大江健三郎氏編・日本ペンクラブ監修

 『 日本の原爆文学ベスト10 』 (集英社)が刊行されます。


 こうした大きな動きに先行するように、

 

正田篠枝さんの原爆歌集 『 さんげ 』 

(初版、1947年12月)

 

『 短歌至上 』 の月尾菅子さんによって、

今年2月に限定復刻されました。


 『 さんげ 』 

ありし日の正田篠枝さん

が、

 

占領軍の検閲のあるかぎりとうてい発行不能であるとして、

 

 秘密出版を思いたち、

 

みつかるとマッカ―サ―から死刑になるから

周囲の人がとめるのをふりきって、

 

百五十部を謄写印刷し、

 

原爆で肉親を失って嘆き悲しんでいる人々を慰めた歌集です。


 『 さんげ 』 に続いて、

峠 三吉さんの没後三十年を記念して、

 

朝鮮戦争下の広島平和大会に峠さん

 500部を捧げたガリ版刷りの原爆詩集など

 

三点が、

 

「 峠三吉没後三十年記念事業委員会 」

 の

手によって、さる五月復刻されました。


本書 『 黒い卵 』 はこれらに続くものです

が、

 

1946年の 『 黒い卵 』、

 

1947年の 『 さんげ 』、

 

1951年の 『 原爆詩集 』 

たまたま戦後三十八年目に復刻…

 

 再販されたことは、

今日の危機的状況の下、

 

改めて

当時を確かめようとする共通の意志を感じます。


 かつて

抵抗感を覚えずには口に出せなかった

原爆文学が、

 

ためらいなく言えるようになった今日のありよう

は、

 亡くなった体験作家・詩人たち

の、

 

占領下の悪戦苦闘の上に築かれたものであること

 忘れてはならないと思っています。


 本書の刊行にあたり、

私は詩集の運命ということを考えずにはいられません。

 

詩とは

もっとも自由な精神の発露であるゆえに、

 

時の権力から詩人は弾圧され、詩集は禁止されてきました。


戦前・戦中、 

どれだけの詩人が警察や特高の弾圧を受けて投獄され、

 

筆を折り、 検閲削除に甘んじ、 

 

自己防衛のため心ならずもペン

枉(ま)げさせられたことでしょう。


 検閲、発禁を受けたどれだけの詩集

が、

 今も地下に眠っていることでしょう。

 

占領期・朝鮮戦争期の詩人についても事情は同じです。


 さらに

目を海外にやれば、今でも詩人は同じ状況を生きています。


とくに

第三世界の多くの国々では、民主と人権を求める民衆の先頭に立つ詩人

は、

 国家権力によってまず弾圧の対象にされています。


三十七年ぶりにはじめて完全な形で日の目を見る 

『 黒い卵 』 

も、

 

 そうした

たくさんの抵抗詩集の運命とつながっていることを実感します。


また本書の出版は、新たなる戦前を許さない、

 

平和を願う幾多の人々によって支えられていることも――。


最後に、

本書出版のきっかけをあたえて下さいました堀場清子さん

と、

 推薦文を書いていただいた日高六郎先生、

 

今回も

何かとお骨折りいただいた川村孝則氏、

 

編集上の御助言をいただいた人文書院の落合祥堯氏

に対し、

心からの感謝をいたします。


 1983年六月十日

                    栗原貞子

 


『 日本国憲法の問題点 』 

小室直樹著、集英社。2002年4月。

の中に、

 

〈 日本人を精神的奴隷にしようとしたアメリカ 〉

という項目があります

が、

 

その趣旨と全く一(いつ)にしたお話を識りました。

 

やはり長文とはなってしまいます

が、

前回と同じようにして、ここに引用掲載をさせていただきます。

 

「 あの戦争は日本が悪かった 」 は誰の主張? 

GHQが支配した新聞、ラジオ、映画の驚くべき中身とは

 

7/18 (土) 7:00配信

デイリー新潮

 

日本人はなぜ自虐的になったのか(2)

 

ミズーリ艦上
における日本の降伏文書調印式

(Army Signal Corps / Public domain / wikimedia)

 

連合国軍司令部(GHQ)

が、

 

日本人に対してさまざまな心理戦をしかけていたこと

  歴史的事実である。

 

その

影響はいまだに残っており、日本人が歴史に関して

  過度に

自虐的になる原因となっている、


 というのが

有馬哲夫・早稲田大学教授の見解である。

 

この心理戦の代表格としてよく扱われる

のが、

 WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)だ。


「 立ち上がれ、日本人よ―― 」 

  92歳マハティール首相の感動メッセージ


 WGIPに代表される心理戦によって

日本人にいかなる意識を持たせようとしたのか。

 

簡単にまとめると、以下のようになる。


「 あの戦争で悪かったのは日本である。

 

だから

広島や長崎での原爆投下

戦争を終わらせるためには仕方のない行為だった。


 日本は無条件降伏をしたのだから、何も言う権利はないのだ。

 

すべての

戦争責任は日本の軍人たちにある。

  

極東国際軍事裁判の判決は受け容れなければならない 」

 

実際にこうした考えの日本人は少なくない。

 

しかし、

こうした心理戦の実態はおろか、

 

その

存在すら歴史の教科書に記載されることはない。

 

 そのため多くの日本人

それがいかなるものなのかを知らない。


 心理戦

とはどういうものだったのか。

有馬氏に聞いてみた。


アメリカが浸透させた

「 太平洋戦争史観 」

 

――具体的にどのようなことが行われたのでしょう。

 

政府広報のようにアメリカの考えを伝えて

も、

大して効果はないように思えるのです

が。


有馬: アメリカは心理戦の研究を戦前からずっと行って

きて、

     戦後は日本のみならずドイツなどにも実施しています。


 そのやり方はとても巧妙で効率的です。

 

検閲で情報を制限したうえで、

 自分たちにとって都合の良い情報を文化人、

知識人、メディアを使って浸透させるのです。


代表的な例としては

 

「 大東亜共栄圏 」 「 大東亜戦争 」 

という言葉を

 排除したことが挙げられます。


彼らは

大東亜共栄圏に関する書物の焚書

(ふんしょ・書物を焼き捨てる)

を行いました。

 

さらに 

 

「 大東亜戦争 」 という名称の使用を禁じ、

「 太平洋戦争 」

という

名称を強制しました。


これを

メディアのみならず教育機関にも徹底させました。


 大東亜戦争という名称

は、

 

日本側があの戦争

閣議で定めた正式な名称です。

 

これを禁じて 「 太平洋戦争 」 とするというのは、

 

つまりは

戦争を

アメリカ側から見ることを強いたということです。


 しかも巧妙なのは、

アメリカがそう押しつけたということは 

隠して、

 

あたかも

日本人が自発的に行ったように装ったことです。


 たとえば、

 

彼らの側から戦争を描いた 

『 太平洋戦争史 』 

という本があります。

  

著者は日本と戦った側、連合軍総司令部

で、


 これを翻訳したのは中屋健弌という人物

で、

当時共同通信の渉外係でした。

 

 もともとは 

「 太平洋戦争史 」 

タイトルで新聞連載されていたものです。


どう考えても、

向こう側の言い分のみをまとめた本です

が、

 

まえがき で 中屋

 

「 冷静な立場から第三者としてこの問題に明快な回答 」 

示した本だ、持ち上げています。


   この人物はその後、東京大学教授

となり、

現代史の研究と教育の中心的人物となりました。


 ちなみに、

 

今日、 日本の戦争について、

日本側にも何らかの言い分や正当性があるようなことを

口にしたり、


 また

「 大東亜戦争 」 

という名称を用いたりする

と、

 

それだけで 「 右翼だ 」 

拒否反応を示す日本人が少なからずいます。

 

これは当時、

アメリカが浸透させた 「 太平洋戦争史観 」 の影響です。


当時、日本人の多く

は、

  

あの戦争が

実際にはどういうものだったのか

知りませんでした。

  

新聞は正確な情報を伝えていませんでした

から。


正しい情報に飢えているところに、

 

これが 「 明快な回答 」 です、

 と

出したので、

 

みんなすべてを うのみにしたのです。


言っておけば、

書いてあることがすべて嘘だというわけではありません。

 

  ただ、

 

すべて

アメリカに都合の良い情報になっていたわけです。

 


今回は以上ですが、このお話はつづきます-------


 つづきは「 雪月 剛のブログ167 」パート98へ-----

 

  2020年7月29日              

 

               雪月 剛(ゆづきごう)

七夕2020_私のお願い事

――以上がリブログです……

この度も 

          長文をまことにありがとうございました。