健康のために意識してることは?
私の場合―――
まず食事…そして程よい適度な運動…
定期的に医師の診断を仰ぐ……
医師の指示もあり…血圧、および体重測定は毎日記録……
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2024年5月17日(金)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
今日も今朝アメーバさんより寄せられている
「 リブログ 」……
昨日につづき再度~
リブログにある、故小室直樹博士らのかなり後輩にあたるお人たち、
それも元官僚であった方々
が
小室博士…ご心配通りの原体験を以って
やはり私たち国民に向かって懸命な警鐘警告を鳴らしておられるようです……
近々のホヤホヤでは社会的有名となっておられる森永卓郎氏(東京・1957年~)
が
『 ザイム真理教(三五館シンシャ、2023年5月出版) 』
『 書いてはいけない 日本経済墜落の真相((株)三五館シンシャ、2024年3月出版) 』、
共著で、
鈴木亘弘氏(三重県・1958年~)と『 国民は知らない「 食料危機 」と「 財務省 」の不適切な関係 』、
2024年2月、講談社+α新書で著わしておられます。
また、やはり元官僚、古賀茂明氏(長崎県、1955年~)という方が日本国に対する警鐘警告
に
それもまだ現役官僚時代だった頃の2011年5月、(株)講談社出版にて
「 経済産業省大臣官房付・『 日本中枢の崩壊 』」を著わしておられるのを知って
日本にもまだまだこんな方たちがおられるんだなァと驚いているところです………
何卒宜しくお願いいたします。
〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉
依法官僚制 とか家産官僚制、そして腐朽官僚制って
一般的には
殆ど聞き慣れない
とてもややこしい言葉を続けてはいます
が……
どうか
よろしくお願いいたします―――
それでは
丁度三年前のリブログ~~~
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雪月 剛のブログ95 日本って不思議な国?
日本人って不可思議な人種!?
パート26
前回、
『 小室直樹の資本主義原論 』 戦闘フェティシズムとは!?
ミッドウェー海戦とゆう日本国最大の見本例があります!!
の
つづき------
この度は、また新らしく切り換えた
『 日本人のための経済原論 』 小室直樹著、東洋経済新報社。1998年。
よりの
抜粋引用をさせていただきます。
民主党政権時代には、東北大震災、フクシマ原発事件に対処する、
その民主党の昏迷ぶり--------、
またキナ臭いことばかりを重ね、
更に追い打ちを掛けるか如くに出現をした新型コロナウィルス禍!!
今度はそこでまた、不透明さばかりを増し 浮き彫りとさせている政権、
自民党安倍政権を現在(いま)日本国民は眼前にしています---------
いま
「 雪月 」が引用をさせていただいている大先達らの遺作
は、
二十数年も経っている出版ですが、
今日こそ必要とされる著作であり、
その存在は、
古いどころなんてお話ではなく。
現在(いま)ある、この日本国の様相を正確に予見を
し、
警鐘警告を鳴らしておられるご本-------
誰にも分かり易いように説かれているお話だ
と
「〖 日本国行政の不備 〗
に
実際に遭遇をしている!! 」
私たち雪月は、そう思うものです
が
一般的には、
ちょっとばかりややこしくて難しい論説になるのかも知れませんね------
でもでも 、
国の根幹、 成り立に関した、
将来の我々一小市民を慮(おもんばか)って
の
とても とても肝要な事分け、
必須な論旨ばかりだと思いますので
それこそ どうぞご寛容を下さいませ!!
では――――
依法官僚制
(legal bureaucracy)
とか
家産官僚制
(patrimonial bureaucracy)、
そして、
腐朽官僚制(rotten bureaucracy)
って何だろう!?
『 日本人のための経済原論 』
小室直樹著、
東洋経済新報社。1998年。
より--------
百万遍唱えるか一万遍書いてみると経済が覚れる。
いや、 千分の一に切り下げて、 千回と10回でもいい。 (2P)
急ぐ。
日本経済は絶壁の前に立っているのに、 エリ―ト官僚は茫然自失、政治家は腐敗し切っている。
日本は、
パイロットと副操縦士が九死した
飛行機のようなものだ。
あなた自身がエコノミストになって日本経済と自分の財産
を
守るしかないではないか。
円は急降下したかと思えば急上昇、ひどい乱高下は日本経済の病根の根深さ
を
暗示している。
不景気は大恐慌の様相を帯び、デフレ・スパイラルが発信するばかりである--------云々。
序章 日本経済はなぜ身動きとれないのか
「 大蔵キャリアもデフレを知らない。デフレを研究している経済のプロも知らない 」(25P) -----
「 世界に冠たる東京大学 」 というのはとんでもないウソだけど、
日本のエコノミストが書いた本
の
「 中身はスカスカ 」 だというのは本当である。
――日本官僚制が、制度疲労のゆくすえ腐朽官僚制(rotten bureaucracy)
となりはてて機能を失ってゆく―――
家産官僚制とは何か(26P)
現代日本官僚制の病原の根本は「 法治 」 と 「 人治 」 の矛盾にある。
近代官僚制は法治であるはずが、 日本官僚制は、 実は人治なのである。
例えば、大蔵官僚は金融機関などを支配してきたが、その方法たる
や、
行政指導等の法律上の根拠規定が無いか、曖昧か、
きわめて他種多様である。
行政は、法律の執行としての行政ではないのである。
行政は、
人間の網の目を伝わっての行政である。
例えば
官官接待も天下りも、かかる行政の産物である。
この「 法治であるべき行政が実は人治であることの矛盾 」
を、
より正確に
「 依法官僚制であるべき官僚制が実は家産官僚制であることの矛盾 」
と
表現しておきたい。
依法官僚制(legal bureaucracy) も 家産官僚制(patrimonial bureaucracy)
も、
マックス・ヴェ―バ―の用語であるが、 きわめて生産性の高い概念である。
また、
歴史上の資料を活用するためにも最適である。
家産官僚制が出現するのは、古来の
中国と近大ヨ―ロッパの絶対主義国家である。(27P)
それらの比較研究が、現代日本の官僚制を理解するために
絶好の範例を与える――――
秦は、紀元前221年に法家の思想で天下を統一し、
古代では類例を見ないほど整備された巨大な家産官僚制を作り上げた。
法家の思想とは、君主が官僚を制御して人民を統治する法術である。
秦タイプの家産官僚制による統治は、清(1616年~1912年)まで続いた(Das Reich der Dauer)
と
ヘ―ゲルを歎ワン(感心してため息をつくこと)させた。
古来、中国では歴史学が極度に発達し、資料は膨大であり事例は多い。
古代に、
科挙制はいちおう日本に入ってきたことになっている
が、
実効性がないので廃止されてしまって、その後も復活していない。
「 科挙 」 が日本へ入ってきたのは明治以降である。
いわゆる
「 一高→東大 」 コ―スによる
キャリア官僚の募集
は、
その社会的、経済的意味において、
中国の科挙と 何と似ていることか。
研究すればするほど、驚きは増すばかりである。
日本の官僚制が、 制度疲弊のあげくのはてに
腐朽官僚(rotten bureaucracy)になりはてたことから湧いてくる
諸弊害のありさま等々。
中国の家産官僚制の研究は、 多くの実例と示唆とを与えるであろう。
その他の例として、ヨ―ロッパの絶対主義国家は、主権の確立ととも
に
家産国家(patrimonial state)として成立した。
殷鑑遠からずとはこのことだ。
家産国家においては、公的支配と私的支配との区別がない。
ゆえに、
一切の公的収益は私的収益と同様に取り扱われる。
公的所有と私的所有の区別はないのである。
つまり、
公(おおやけ)の物はオレのモノである。
中国では、「 どんな廉潔な下級知事でも、三年勤めれば、三代も裕福にくらせる 」
といわれた。
税金と賄賂(わいろ)との区別がはっきりしないのである。
が、これは、
実は中国の特性ではなく、 家産国家の特性である。
「 日本の官僚はいつの間にか良心が麻痺(まひ)してしまう 」
といわれるが、その実相はここからくる。
家産国家の官僚には、 公のものと私のものとの区別がない。
公的権力が、 いつのまにか、 私的権力のような気になってくる。
依法官僚制の急所
依法官僚における官僚は、法に従って(Regel gebunden)行動する。
すなわち、
行動の規範は 「 法典 」 のうちに組織化され、
個人の恣意(しい)を排除して行動する。
つまり、
法律機械のごとくに機能するのである。
この 「 恣意の排除 」こそ
依法官僚制の急所なのである
が、
日本では、どうしてもこうはゆかない。
行政は専門的知識を必要とし、 官僚の裁量を否定できない、
ゆえに、恣意の排除が完全ではない(いや、おこなわれていない)。
日本においては、
官僚の恣意が無制限に裁量の中に侵入してくる。
かくて官僚の業界に対する勝手気ままな、不安定な支配が実現する。
ヨ―ロッパの絶対主義下の官僚制は、絶対主義が立憲主義、デモクラシ―へと転換するにつれて、依法官僚制へと脱皮していった。
この脱皮がおこなわれなかったのが中国の家産官僚制である。
日本では、 それどころではなく、依法官僚制のつもり
が、
正体は家産官僚制、
つまり、
仮面をかぶった家産官僚制(disguised patrimonial bureaucracy)
という厄介
このうえない存在になっている。
これが、ノ― 規範の前期的資本と結び付いているのだから、
どう仕様もあるまい。
1995年、阪神大震災、カルト教団事件が起きたとき、「 政府の助けを一番必要とするときに政府は助けにきてくれない 」
ことを
国民は覚った。
(K・Ⅴ・ウォルフレン著、大原 進訳『 なぜ日本人は日本を愛せないのか 』、
毎日新聞社。1998年、90頁)。
官僚制の腐朽すでにここに至る。
三権を簒奪(さんだつ)した官僚が腐朽化のため
に
無能となったのでは
政治家はどうしようもない。
その官僚が経済をあやつっている。
恐るべきミス、 当然である。
では、 何故に、 どこを どう間違ったのか。
その分析が 本書の主テ―マである。
次、「雪月剛のブログ96」パート27 に つづきます----------
2020年5月17日
雪月 剛(ゆづきごう)
下記は拙著です。
――以上がこの度のリブログ……
長文を
真にありがとうございました。