昭和と聞いて思い浮かぶのは?
「 明治は遠くなりにけり 」という字句が世にあります
が
私の場合――――
「 昭和も遠くなりつつあり……」
が
どうしても浮かんできてしまいます!?
まるで
タイムマシンに乗車しているが如しに………
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今年も早やGW……
2024年4月29日(月)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
今朝アメーバさんより先週の21日(日)、
そして
昨日28日(日)と寄せられている
「 リブログ 」……
かなりの長文で、大変に恐縮ではあります
が…
なにとぞ
よろしくお願いいたします~~~
2023年度
昭和と聞いて思い浮かぶのは?
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日本有史来、元寇を除いて
何といってもですね!
大戦争をした昭和は
酷いというしか他(ほか)ない時代であったが
結局は、いつになっても変わらない世の中―――
2022年度
昭和のアーティストといえば?
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今日は
2022年4月29日(金)。
このところ、リブログ続きの「 雪月 剛のブログ 」ですが、
アメバさんより今朝も「 リブログ 」が届いておりました。
丁度2年前に投稿をした、
昨年2020年月29日付け、〖 今日は昭和の日 〗への記事です。
かなり長文のリブログですが、新型コロナウィルス禍への不手際が際立ち、
当時、
大イベントである東京オリンピックの去就すら定まらない日本国の昨今に――!!
大変に参考となる記事であろうかと存じますので
ここに、ご許容のほどをいただければ幸いです――――
- テーマ:
- ブログ
昭和の印象的な出来事は?
お答え――《 いまのいま、私が描いていること!! 》
今日は昭和の日、ということですね、 丁度良いタイミングでした。
今回のお話も、昭和の異例な大事件、元総理大臣が 逮捕!! されるという
田中角栄氏に関する小室直樹博士の論説に対する
私の疑問の続きをさせていただくことにします――――
2020年度
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雪月 剛のブログ81
日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!? パート12
それでは-------------
本当は、先回で終えるつもりだった
元総理大臣田中角栄氏に関するお話――――
ではありましたが、昨秋、最寄りの図書館が催したリサイクル展で
偶々手に入れた本の中に、1998年3月に文芸春秋社より発刊された
『 立花隆のすべて 』 530頁に亘る文芸春秋編
があったのです。
立花隆氏(1940年~)というお方は、元総理大臣田中角栄氏
(1972年、第64代、65代総理大臣就任)
の金脈問題を追及をして社会的有名になった人で、
それで、ちょっとだけ関心を抱いたのが その本を手に取った私の動機。
しかし、暫くの間積んだままにしてあったのです。
手許にある本は全部読んでしまい、その本だけがまだ残っていたとゆう、
そんな分けがあって、いまになってやっと目を通すことになった、
実はちょっとした不純を持つ-------
そうこうして、本書中、対談形式の文書に触れ、そこで、
小室直樹博士(1932年~2010年)が元総理大臣田中角栄氏裁判事件で
田中角栄氏の擁護派として著わされており、 私が抱いていた、
小室博士についての素朴な疑問と危惧―――
それを、元総理大臣田中角栄氏の擁護派としてストレートに
批判をしておられた立花氏を識ったのです。
文書に触れ、大変な参考を私に齎(もたら)してはくれていますが、
やっぱりなと、納得をするとともに、また吃驚(びっくり)もしたという切っ掛けから
再度描くことにしたのです。
私は知らず過ごしていて大変に恐縮しかありませんが、
社会的には当時、かなり物議を醸した問題だったようですね。
森友学園問題、加計学園問題、桜問題、
そして、この度の新型コロナウイルス禍に
対処をしている、
元総理大臣田中角栄氏と全く同じ、
自由民主党の延長線上にある安倍政権の様相からも、
〈 小なりとは雖(いえど)も、 私たち雪月が被っている
〖 脈々と続く日本国行政の不備 〗が重なって 視えてくるのです----- 〉。
前回 「雪月 剛のブログ 」 の証左にもなるかと捉え、
文芸春秋編 『 立花 隆のすべて 』 より、ホンの一部ではありますが、
とても参考になる事項だと思料しましたので、
総理大臣退陣が1974年、逮捕に至ったのが1976年ですので、
早や40数年もの歳月が経ってしまった日本国有事の大騒動事件ではありますが、
日本国の実態は当時と何も変わってはいませんよって、
譬えちょっとだけでも思い出していただければ幸いと、
甚だ勝手ながらここに引用をしてゆきたいと存じます。
では引用です――――
文芸春秋編
立花隆のすべて
ロッキード裁判への執着
戦後日本の「 闇 」を裁く公判を毎回傍聴し続けた情熱に、ジャーナリストの真骨頂を見た
堀鉄蔵 (朝日新聞電子電波メディア局長)
お粗末だった田中擁護派のその後 88P~~
――あとで考えてみるとね、田中派が膨張してものすごい権力を握って、
キングメーカーとして 「 闇将軍 」 だといわれたけど、
彼らは政敵を叩き潰すために凄まじい権力闘争を繰り広げていた。
これには派閥内部にも田中自身にも計り知れないストレスがあって、最後は 「 趣味は田中角栄 」 と言った二階堂まで出ていく。
田中も結局それがもとで死んでしまう。
立花田中が引っくり返ると、あの頃流行っていた例の裁判批判、
田中支援の言説というのはあっという間になくなっちゃった(笑)。
田中裁判をやっていた連中は、これは田中擁護のためではなくて、
司法の正義を守るためだとか何とか、
そういうお題目並べていたけれども、
そんなの田中が力を失ったらみんななくなっちゃうんですね。
――嫌がらせとか身辺の危険とか、なかったですか。
立花身辺の危険ということはないけど、ただ、角栄ファンの中には変なやつがいるからね。
大阪の方でインチキ商法の豊田商事の永野会長を刺した男がいるでしょう。 あの犯人が実は田中のファンなのね。
刺殺事件のずーっと前だけど、僕のところに突然電話かけてきて脅かされたことがあるんですよ。
お前はけしからんってね。
こっちも酔っ払っていたし、まして向こうは大阪から電話してきてるから、
べつに怖くない。
それで売り言葉に買い言葉でずいぶん電話でやりあってね。
あとから豊田商事の事件が起こって、名前を聞いて、あっ、あいつだと思ったね。だからあれはちょっとびっくりしたというか。
あいつがもし東京にいたら------(笑)。
ましてあれだけ電話で激しくやり合ったから、僕も危なかった可能性はあるんだけど。
でも、具体的にはなかった。
話は変わるけど、ロッキード事件を報道する側でも長い間にずいぶんいろんな変化があったでしょう。
たとえばNHKでは、一時期ロッキードで頑張った連中が
全部パージされて飛ばされたときがありますよね。
――自殺した人がいるでしょう。 社会部長か報道部長でね。
それとシマゲジ(島桂次・元NHK会長)とのいろんな争いがあったと言われています。
89P------立花
それで実際シマゲジが退陣するとみんな一斉に戻ってきているんですよ。
――そうですね
立花
裁判の初期ではその日の公判が終わると、
今日の裁判についてコメントをテレビで求められて、
ちょこっと喋るというのがあって、
NHKは結構僕のところに来てたんですよ。
それがある時期からパタッと来なくなってね。
あれは要するに早坂茂三秘書がNHKに文句を言ったんだって。なんでお前のところは立花を使うんだって(笑)
重要人物の相次ぐ謎の死
――しかし、あの裁判は謎が多かった。
立花それはもう謎だらけですよね。細かく挙げていけばいくらでもある。
中曽根康弘は事件にほんとのところどこまで噛んでたのかね。
ああ、ここがポイントじゃないか、と思うところは結構ありますよね。
機種選定でロッキードが決まったときに用意されたはずの、
段ボール一箱の新札がどこに行ったかわからないとかね。
――金にまつわる話だけでもずいぶんある。
立花直接の大きな謎といったら、ダグラス・グラマン事件でしょうね。
第四次防衛大綱の輸入軍用機選定を巡る疑惑が噴き出して、
ロッキードと絡み合ってくる。
――軍用機ですから金額も大きい。
立花
岸信介元首相の突然の政界引退は、明らかに田中の二の舞を避けるために、
検察と話し合いで辞めたとしか考えられないですものね。
検察の捜査は秘書の周辺から岸そのものに迫ってたんですよね。
本気でやるつもりの勢力が検察の中にちゃんとあったんでしょう。
――あったと思いますよ。
そうじゃなかったら、少なくとも代理店である日商岩井の担当者、
島田三敬常務が飛び下りで死ぬなんてことにはならなかったはずです。
島田三敬はそれこそ死の前日に日商岩井東京本社常務室でうちの記者と会見しているんです。
釈明に終始したらしいんですけど、
そのときの様子では自殺など全く想像もできなかったらしい。
立花田中の笠原運転手の自殺の真相もわからないしね。
死の前後の状況というのがすごく異常でしょう。
「 いま帰るよ 」 って電話して自殺するだろうか。
――だから、奥さんがいまでも怒ってるらしいですね。
立花
そう。 島田三敬の場合も、 彼の関係者は自殺と思ってない。
90P------
半分下着姿で、 靴まで部屋に置いたままで死んでるんだから。
それとコーチャン・メモにある工作ルートの図表を改めて見直すと結構面白い。
笹川良一が出ているんだけど、 彼がどういう役割を果たしたのか、
ついにわからなかった。
――そうですね。立花
それに児玉とロッキードの通訳だった、 福田太郎も謎の人物です。
ⅭIAとか何か、情報機関の絡みがはっきりあるんだけど、それが見えてこない。
彼の死に方も非常に不思議だったし。
そういえば丸紅の松井直副部長の死に方も不思議だね。
――いつも鍵を持つ人物がぽっと亡くなってね。
それで捜査が行き詰まる。
大事な人がみんな亡くなっちゃう。
立花僕は伊藤栄樹最高検次長検事が、ダグラス・グラマンの事件処理に関しては
ちょっと間違ってたというか、何かあった気がする。
――あの人は要するに最も政治と近い検事総長だったことは間違いないですね。法務省勤務が長く、政治と検察の窓口になっていたことが影響してるという
感じありましたよね。
立花あのあたりを少しフィクションもまじえて大河ドラマ的に描き直すと、
また面白いんだろうけどね。
立花さんのディ―プスロートは?
――話が飛ぶようですけど、僕は立花さんは検察にディ―プスロートを
もってるんじゃないかとずっと思ってましたよ。
立花持ってないですよ(笑)。ただいま現在起きていること、たとえば
政治状況の大変革の場面とかで、
ディ―プスロート的な情報を得てると逆にマイナスになるんですね。
その情報に自分の判断が左右されちゃうんですよ。
ほんとの客観的な情勢というのが逆に見えなくなっちゃうんですね。
ロッキード以前にそういう経験があったから、要するに外側だけ見てて、それから見えるものを書くだけで十分だという感じが一つあったんですね。
いわゆる特ダネ競争的な、そういうものに参加する意識というのは
まるでなかったんです。
だから、検察の誰かに直に電話したのは裁判の全期間を通して、おそらく五回あるかないかですね。
――ちょっと話を先に進めると、例の 『 諸君! 』 の
ロッキード裁判批判が、次の五十九年の四月ぐらいから
始まるでしょう。
立花ああ、 渡部昇一ね
――ええ。 初めは自分は山のように書かなきゃいけない原稿があるし、とてもあんなものに反駁(はんばく)する気もなかったけれども、
だんだんひどくなってきて、
ほっとくわけにはいかなくなったという経緯を書かれている。
で、『 朝日ジャーナル 』 での連載 「 ロッキード裁判批判を斬る 」 の中で、
立花さんは当時の 『 諸君! 』 の編集長をよく知ってて、
その人はだいたい普段はバランス感覚もあるんだけど、
思い込んだら命がけで突っ走っちゃうということを書かれてるでしょう。
でも私たちはみんな裏があるんじゃないかと思ってた。
田中はもう法廷闘争では勝てないから、要するに文春に工作して『 諸君!』 で
キャンペーンをやってるんだろうとずっと思ってたんですよ。
編集長の思い込みだけであそこまで執拗にやれるのかなと。
立花
でも、 編集長の思い込みというか、 あの人東大法学部卒で
独自の法律的見識を持つ人だから、本気で、あの裁判はけしからん、
ぶちこわしてやろうと思ってたんですよ(笑)。
――そうだったんですか。
立花さんは田中角栄に長い時期かかわられたことで、
ある意味ではすごく回り道をしてしまったと書かれてますね。
立花結局十一年付き合ったんだからね。だいたいちゃんとした本は
どんなに頑張っても毎年一冊書くというのは結構大変なんだよね。
でもまあ、これやってなければ一年一冊ぐらいは書けるとして、
十冊ぐらい別の本が書けてるんですよね。
やりたいことはものすごくあった。それは山のようにあった。だから、やっといま頃ですよ、いろいろやりたかったことができてるのは。
ただ、まあ、あそこであれだけ頑張ったから、一応もの書きとしての信用が生まれて、
ほかの仕事がわりと楽にできるようになったという面もあるでしょう。
『 文芸春秋編 立花隆のすべて 』 の引用は以上です。
引用文に
「――ちょっと話を先に進めると、例の 『 諸君! 』 のロッキード裁判批判が、
次の五十九年の四月ぐらいから始まるでしょう。
立花-------ああ、渡部昇一ね 」
と、小室直樹博士との共著もある渡部昇一氏(1930年~2017年)
についての指摘記載がありましたので
ちょっとだけ触れて措きます。
参考: 私自身は読んでいませんが、下記は小室直樹博士との共著の記載です。
『 自ら国を潰すのか 「平成の改革」その盲点を衝く 』 小室直樹 徳間書店 1993年
『 封印の昭和史 「戦後五〇年」自虐の終焉 』 小室直樹 徳間書店 1995年
『 新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか 』 谷沢永一・小室直樹 祥伝社
2001年
ネットよりの引用-------
渡部昇一
南京事件を調べていて反対尋問の重要性を認識したが、
田中裁判では最重要証人に対しこの機会が与えられなかった。
1984年 『 諸君! 』 誌上で「 田中擁護論ではなく、
日本の司法の犯罪に関するもの 」、
即ち刑事免責を確約して得られた違法な嘱託尋問調書に
証拠能力は無い、
反対尋問を許さない地裁判決は憲法違反である、
と問題提起を行った。
これに立花隆が 『 朝日ジャーナル 』 誌上で応酬する形で進む。
秦野章、俵孝太郎、山本七平、小室直樹等が立花の批判の対象にされたが、
渡部に対しても冒頭陳述の意味や「 証拠能力 」と「 証拠の証明力 」
の区別を知らず、
裁判記録さえ読むことなく自らの妄想を元に批判をおこなっていると主張した。
渡部は1985年、「 幕間のピエロたち番外 」 という短期連載で立花と誌上討論を行った。
十回ほど行った時点で角栄裁判の第二審が始まった為、渡部は第一審の議論をしても意味がないからと一方的に中止を申し入れた。
すると立花は、 「 渡部氏は尻尾を巻いて逃げた 」
と書き立てた。
現時点では立花の主張は 『 論駁--ロッキード裁判批判を斬る 』として読める。
渡部は要望があればいつでも議論に応じる構えを見せている。
病気療養で活動を抑えている立花は『 巨悪 vs 言論 』のなかで渡部らの批判に対してまとめて、
ロッキード事件から時間が経ち皆が忘れていることをいいことに
論点ずらしをしている点、
ロッキード裁判は丸紅による収賄に対する裁判であり
ロッキード社については周辺事項にすぎない点、
ロッキード裁判は榎本敏夫が完全自供した時点で決着していると主張した。
上告審は田中の死により公訴棄却となった(ので裁判は打切り)。
が榎本首相秘書官の上告審で、嘱託尋問調書の証拠能力を否定したうえで、田中の5億円収受を認定した。
渡部は「 ロッキード裁判は、日本の裁判史上、
最大の汚点である 」 と言い続けている。
田中角栄を巨悪と断じ、政界から葬り去ることを正義とする世相の最中
「 堂々と持論を発表されていた渡部先生を尊敬しています 」 と、
著名な憲法学者から告白されたと述べている。
―――以上にて、パート12は 終わりにしたいと思います。
パート13へと続きます――――
2020年4月29日
雪月 剛(ゆづきごう)
――以上がこの度のリブログ……