2023年7月20日(木)
こんにちは雪月 剛(ゆづきごう)です。
今日も今朝アメーバさんより寄せられている
「 リブログ 」……
いつもほんとうにありがとうございます。
〈 原文に段落行間隔らの改定を施しています… 〉
どうぞ
よろしくお願いいたします~~~
2022年7月20日(水)。
2021年7月20日(火)。
日本国有史来の大敗戦日1945年8月15日
と同日、
2021年8月15日が、本年東京オリンピック後、
間もなくやって来ます
が
「 雪月 剛のリブログ 」 にあるよう
に、
残念ながら、昔も現在(いま)
も、
日本国社会が抱えている本質
〈 闇といっても差支えのない 〉
は
何も変わってはおりません。
私たち雪月も、
恐怖で苛酷な実体験の中
より
呆れ返るほど思い知らされ、
日本国
の
その実態(実体)を学ばされてきているのです………
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『 日本って不思議な国? 日本人って不可思議な人種!?』
新パート12
「 雪月 剛のブログ157 」パート88
前回、『 原子爆弾雑話 』 の つづき--------
では――――
最終章
科学者たちは多分出来るであろうと言う
が、
果(は)たして
必ず出来るか否かは分らない仕事
に、
これだけの費用と人とをかけるということ
は、
われわれには夢想だに出来なかったのである。
少し笑話になるが、
我が国でも今度の大戦中、
或る方面で原子核崩壊の研究委員会が出来ていた。
そこの委員である一人の優秀な物理学者
が、
関係官庁の要路の人のところまで
わざわざ出かけて来て、
その研究に必要な資材の入手方かたの斡旋(あっせん)
を
乞(こ)われた。
その時の要求が
真鍮(しんちゅう)棒一本であったという話である。
冗談と思われる人もあるかもしれないが、
私は自分の体験から考えて、
多分
それは本当の話であろうと思っている。
いくら日本が資材に乏しいといって
も、
こういう重要な問題の研究
に、
真鍮棒一本渡せないはずはない。
ないものは
真鍮棒ではなくて、
一般の科学に対する理解なのである。
そして それほどまでに
科学者以外の人々が科学に無理解であるということ
は、
煎(せん)じつめた
ところ
国力の不足に起因するのであろう。
新しい日本の建設は、
先ず何よりも国力の充実に始まらねばならない。
そして
本当に充実した国力から
のみ
新しい次の時代
の
日本の科学が産まれるのである。
もっともこういう風に言うと、
そのようにして産まれた次の時代
の
日本の科学というもの
が、
今日のものより
も
更に
強力な新しい原子爆弾の発明
を
目指しているように誤解されるかもしれない。
しかし私は負け惜しみでなく、
原子爆弾が我が国で発明されなかったこと
を、
我が民族の将来のために
は
有難いことではなかろうかと思っている。
「 原子核内の勢力が兵器に利用される日が来ない方が
人類のためには望ましい 」
という考(かんが)え
は、
八年前も今も変らない。
今回の原子爆弾の残虐性を知ってからは、
科学
も
とうとう
来るべき所まで来たという気持になった。
遠い宇宙の果(は)ての新星の中では起っていることかもしれない
が、
われわれの地球上
では
その創成以来
堅く物質の窮極の中に秘められていた
恐るべき力
を、
とうとう人間が解放したのである。
開けてはならない函の蓋(ふた)を
開けてしまったのである。
これは
人類滅亡の第一歩を踏み出したことになる
虞(おそ)れが十分にある。
今回の原子爆弾は
原子火薬を使うものとして
は
火縄銃(ひなわじゅう)程度と考えるのが至当であろう。
この火縄銃が
大砲にまで進歩した日のこと
を
ありありと想像し得る人は少いであろう。
新しい発明の困難さ
は
それが果して
本当に出来るか否かが分らない点にある。
一度何処かで
その
可能性が立証されてしまえば、
もう半分は出来たようなものである。
米英両国以外でも間もなく色々な型
の
原子爆弾が出来る日はもう遠くはあるまい。
そしてそれが長距離ロケット砲と組合わされて、
地球上を縦横にとび廻る日
の
人類最後の姿を想像することは止やめよう。
「 科学は人類に幸福をもたらすものではない 」という
西欧の哲人の言葉
は、
益々はっきりと浮び上って来そうな気配がある。
しかし科学というもの
は
本来は、
そういうものではないはずである。
自然が
その奥深く秘めた神秘への人間の憧憬(しょうけい)の心
が
科学の心である。
現代の科学は
余りにもその最も悪い一面のみ
が
抽出(ちゅうしゅつ)されている。
われわれの次の時代の科学
は
もっとその本来の姿のものであって欲しい。
そういう願いを持つ人は、
我国ばかりではなく、
米国にも英国にも沢山いることであろう。
以上。
『 原子爆弾雑話 』
は、
これにて終わる
が、
中谷宇吉郎(1900年7月~1962年月)氏著
『 原子爆弾雑話 』
と
「 原爆と秘密結社――なぜ聖地ナガサキがっ標的とされたのか 」
平和教育協会・訳、
デイビット・J・ディオニシ(1963年~)著、
2015年7月、成甲書房。
とを対比したとき
双方をともに、
より
一層更に際立たせることとなる、
元米陸軍情報将校デイビット・J・ディオニシ氏が解明した
真相
「 ディオニシ氏の調査 」
の
一部を今回のブログに著わす予定であった
が、
7月17日(金)、
ネット上に突如として、
『 原子爆弾雑話 』 や 「 ディオニシ氏の調査 」
を
増々際立たせ、
もっともっと
分かり易くさせてくれるであろう論説が現れ出た。
『 人類初、75年前の原爆実験、
こうして
「 核の時代 」 は幕を開けた 』
という
貴重記録の配信がきたのだ。
であるので、
「 ディオニシ氏の調査 」 掲載を変更、
後日とし、
引用とはなる
が
非常に分かり易く著わされていること
と、
この命題
は、
何度繰り返しても過ぎることはない問題なので、
急遽(きゅうきょ)ここに抜粋をさせていただくことにした。
< 現在(いま)は緩くなっている社会だ、
ちょっと資料を探せば、
その
原爆実験の光景を撮った
アメリカに拠る記録映画がある筈!
嘗て
私も視聴をしたことがあるので--- >
7/17(金) 17:42配信
ナショナル ジオグラフィック日本版
広島に原爆が投下される3週間前、
『 私は今、死となり、世界の破壊者となった 』
「 核の時代 」
の
幕開けから0.016秒後。
1万コマ/秒のハイスピードカメラ
「 ファスタックス 」
が
とらえた爆発のドーム。
ギャラリー:人類初の核実験から75年、こうして「 核の時代 」の幕が開いた
写真5点
ほんの一瞬、
熱い砂の上に現れた半円型ドーム
は、
驚くほど表面が滑らかだった。
(PHOTOGRAPH VIA GETTY)
1940年代初期、
米国の諜報機関は恐るべき秘密を抱えていた。
ドイツが原子爆弾の開発に躍起になっているという。
物理学者アルバート・アインシュタインから
の手紙
で
そのことを示唆された
フランクリン・ルーズベルト大統領
は、
総力を挙げて核開発計画を推し進めるよう命令を下した。
国防総省の本庁舎ペンタゴンの建設を監督した陸軍司令官レスリー・R・グローブス
は、
理論物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマー
を
科学部門のリーダーに任命した。
実際の核実験は、ハーバード大学の
物理学者ケネス・ベインブリッジが率いることになった。
この計画のために
全米から13万人が集められた
が、
ほとんどの人
が
何のために雇われたのか知らされていなかった。
プロジェクトの中心となったのはニューメキシコ州の静かな町
ロスアラモス。
元男子校の校舎を改装した研究室で、
科学者とエンジニアたちが設計・開発した爆弾
は
「 ガジェット 」
と
名付けられた。
さらに、
そこから300キロ南下した砂漠の真ん中
に、
骨組みだけの簡単な設備が建てられた。
ここで最後の組み立て作業と実験が行われることになった。
計画
は
「 マンハッタン 」、
最初の実験は
「 トリニティ 」
と
名付けられた。
つづきは「 雪月 剛のブログ158 」パート89へ----------
2020年7月20日
雪月 剛(ゆづきごう)
――以上がリブログです。
長文を
真にありがとうございました。