たった1本。たった1本の電話だ。それすらも「それはここの仕事じゃない」「余計なことだ」と。そんな風にしか思えないのなら、もう仕事どころか人間でいることすらやめてしまえばいいのにと思ってしまう私がおかしいのか。私が、「社会人」になりきれていないのだろうか。

私は別に、善人ぶりたくて引き受けたわけではない。「あの人はいい人だ」と言われたいがために、自分の株を上げたいがために引き受けたわけではない。もっと単純なことだ。忙しそうな部署、電話ひとつ出る事すら時間を惜しむような部署だったから、「じゃあ私が連絡しときましょうか」と言っただけだ。それは「新人が粋がって調子に乗って出しゃばった」ということになるのか。別の用事があって行ったときにたまたま話を聞いて、しかもたまたま私が比較的時間にも余裕がある部署にいる人間だから、電話1本くらいなら…と思っただけだ。
しかも、内容だって別に全然重いものではない。社会人3か月の新人であろうとも、なんなら職場体験の中学生にかけさせたとしても何の問題もない、ただの確認の電話だけだ。

それすらも、それすらも「それはここの仕事じゃない」なのか。

何かもう、よく分かんないな。仕事がしたくなくてしたくなくてたまらないという気持ちはよく伝わった。それは既に嫌というほど見せつけられた。

だけど、たった1本の電話を入れることなど、そもそも「仕事」にカウントしなくてもいいレベルの問題じゃないのか。ただ単純に、小学校で言うならば「隣の席の子に消しゴムを貸してあげる」ということと同レベルの、同僚としての助け合いの範囲内じゃないのか。

言葉の端々から「新人が粋がってでしゃばるな」「新人が勝手に自己判断するな」という気持ちを感じた。というか、実際にその気持ちを隠しきれず、ちらほらと言葉に乗っていた。たかが電話1本のことで、だ。

何故そこまで「線引き」にこだわるのか。何故二言目には「それはうちの仕事じゃない」が出てくるのか。それはひとえに、出来るだけ仕事をしたくないから。ひいては、出来る限り自分の部署が負う責任を減らしたいからだということは、学生に毛が生えた程度の新人にだって分かる。

だけど私にはそれが理解できない。

線引きは勿論重要だ。それはより業務を効率化させるために必要なことだし、そうすることによっていざという時の責任の所在をはっきりさせておくことも大事なことだ。

だけど、あまりにも酷くないか。

たった1本の電話を入れることすら、たった1枚のFAXを送ることすら「それはうちの仕事じゃないから」で一切受け付けようとしないというのは、社会人云々という以前に、人としておかしくないか。

たとえば、前を歩いている人が鍵を落としたならば、拾って追いかけて声をかける。

たとえば、満員電車に妊婦が乗って来たならば、席を譲る。

それって、何らかのマニュアルによって規定されているわけではない。そういう法律があるわけではない。だけど、少なくとも一般的な倫理観を持っている人であれば、それはごく自然な行為として勝手に出てくるものだ。

それと同じじゃないのか。

たとえば、A部署に立ち寄ったとき、「この後B部署に行くんなら、ついでにコレ○○さんに渡しといて」と頼まれ、引き受ける。

たとえば、自分の得意分野に関する問い合わせの電話がかかってきたとき、「自分が代わりましょうか」と申し出る。

そういうのって最早「それはここの仕事じゃない!」とかいう理論を持ち込んで考える必要性すらない、ごく自然に出て然るべき行為じゃないのか。

私には分からない。もしかしたら、そういう社会的倫理観を「仕事の場」に持ち込んでいる私がおかしいのだろうか。私がまだ3カ月の新人で、学生から社会人へと変わりきれていないから、こんな風に思うのだろうか。

確かに私は昔から、母や姉に「お人好し」と注意されることが多かった。

「どんなにアンタが人のためにと思ってやったって、相手がそれを返してくれるとは限らないんだから、そこまで一生懸命してやらなくていい」

それも正しいのかもしれない。必要以上に自分自身を削らないためには、ある程度ドライに見返りを求めていくことも、正しいのかもしれない。

だけどそれでも、それでも私には、分からないのだ。

何度も言うけれど、別に褒められたいわけではない。自分の株を上げたいわけじゃない。というかそもそも、そういう矮小な次元で捉えようとされること自体が腹立たしくてたまらない。電話を入れるくらい、FAXを送るくらい、「株が~」とかいう以前の問題だろう。ただ単純な、同僚間の助け合いの範囲内のことだろう。

それをどうしていちいちいちいち「線引きが~」とかいう話にするのか。どうして拒もうとするのか。どうして気持ちよく引き受けられないのか。

私には分からない。

分からない、分からないと思いながら、それでも従うしかないのは、私に力がないからだ。社会に出てやっとこさ3か月が経とうとする新人だからだ。学生に毛が生えたレベルの職員だからだ。

異常なまでの仕事嫌いな上司に関しては理解に苦しむことばかりだけれども。
どうして昇進せねばならないのか。その理由だけは、よく分かった。

「偉くならなければ、発言することすら許されない」ということなのだ。

もっともっと、仕事ができるようにならなければ。知識を身につけなければ。力を手に入れなければ。

本当に辟易しているけれども。闘志を燃やさせてくれたことにだけは、感謝すべきなのかもしれない。

『…理由はわからないが

”どうしようもなくその人でなければ” ということがある

”その人の形”に空いた穴が 心の中にある

…そのために苦しんでも

その苦しみを”喜び”だとさえ感じてしまう 人にはそういうことがある』




好きな漫画家の一人である西烔子さんの、『姉の結婚』という作品の中の一節。

こういう台詞が生み出せるのって本当にすごいなと。語彙力が貧弱で申し訳ないのだけれど、ただただ「すげぇ…」と感嘆せざるを得ない。私自身がまだ子供で、そんな風に身を焦がすような思いをしたことがないから、尚のこと。ある程度の人生経験があって、酸い甘いを噛み分けた人だからこそ生み出せる言葉なんだろうな。

この手の「すげぇ…」と唸らされる言葉は、いわゆる20代以上をターゲットにした女性向け恋愛漫画に多い。同じ恋愛というジャンルを扱っているものでも、10代向けの軽やかな少女漫画では決して見ることのできない、深みと重み、そして若干の、痛みと苦さがある言葉。


「たかが惚れた腫れたの話だろ」だなんて仰らずに、是非一度はご覧あれ。
さてさて。いよいよ明後日4月1日から、平成27年度の始まりです。

引越しや職場へのご挨拶、各種手続き等でドタバタだった怒涛の3月が終わり、私はぴかぴかの社会人1年生になります。

22年間、呑気で気楽な学生生活を送っていた私にとって、社会人になった自分がどんな毎日を送っていくのかということは本当に全くの未知数で、正直に言えば期待よりも不安の方が遥かに勝ります。

自分がどんな仕事をするのか。
周りの方々とうまくやっていけるのか。
失敗して怒られもするだろうけど、それでもちゃんと踏ん張れるのか。

挙げ出せばキリのない不安。

そんな風なので恐らく、4月以降は現実生活の毎日にいっぱいいっぱいになり、各種ピグゲームのin率は低下していくことになると思います。具体的には、恐らくよほどのことがない限りイベントには参加せず、時間を見つけてメインクエストをぼちぼち進めていく感じになるのかなと。

もともと既にイベント配信が終了していたカフェはともかくとして、庭や街はそれこそ『時間は腐るほどある』という大学生の特権を最大限利用して、目いっぱい楽しませてもらっていました。だからこそ、名残惜しい気持ちはあるのですが。

しかし、幸運にも(という言い方はちょっと失礼ですが)現行のイベントが終わって4月から始まる新イベントは、庭がレトロポップ、街が近未来…と、いずれも私の好みではないものだったので、あまり未練たらしくならずに切り替えられそうです。

というわけで、恐らく明後日以降、生活が落ち着くまで、精神的余裕が生まれるまでの間は、私はいずれのゲームにもあまりinできなくなるかと思います。少なくとも、「確実に毎日お手伝いのお返しに伺う」とお約束することはできません。

こんな他人のゲームのin率事情など、はっきり言ってクソほども興味のないどうでもいい情報だとは思うのですが。それを承知のうえでこうしてわざわざ告知したのは、「お手伝い」というシステムの根幹はやはりギブアンドテイクですので。お返しを確約できない以上、きちんとお断りをいれておくのが筋かなぁと考えたためです。

そういうわけですので、4月以降しばらくの間は、いずれのゲームもかなりほそぼそと遊んでいくことになりそうです。どうぞご理解ご承知くださいませ。