おはようございます
全3回に亘ってお送りしている「深大寺シリーズ」(でもないか)…
1. 深大寺蕎麦~
2. 深大寺参拝~
3. 深大寺での大発見~
の2回目は…
何十年ぶりに訪問してみると、改めてその広さに圧倒されました。
そして、深大寺の歴史について何も知らないことに気づきました。
そこで…
お勉強 ① 深大寺とは
深大寺の正式名称は…
天台宗 別格本山
浮岳山 昌楽院 深大寺
(ふがくさん しょうらくいん じんだいじ)
深大寺は都内では浅草寺に次ぐ古刹で、奈良時代の天平5(733)年に創建されました。
深大寺の寺号は「深沙大王」(じんじゃだいおう)に由来しています。
(詳細は後述「② 深沙大王堂」をご覧ください )
深沙大王堂
深大寺の“いわれ”については次のような伝説が残っています:
「昔々、この地に住んでいた福満という人がある娘に恋をした。娘の親が娘を小島に隠してしまったが、福満は深沙大王に祈願してその小島まで霊亀の背に乗って渡り、恋は成就した。のち、二人の間に生まれた満功(まんくう)上人というお坊さんが奈良で仏教を学び、天平5(733)年に深沙大王を祀るお堂を建てた。それがこの寺の始まりである。」
深大寺は「厄除け(やくよけ)の寺」として知られています。
(詳細は後述「⑧ 元三大師堂」をご覧ください )
元三大師堂
それでは、いよいよ…
その前に…
武漢熱(COVID-19)の感染拡大により…
分散参拝をお願いしています
次に…
深大寺の全体図をご覧ください
(出典:調布市HPに、ろっきぃが番号を振りました)
一つひとつ回ってみましょう。
(だいこくてん・えびすそん)
深大寺の檀家筋の総代だった方の邸宅にあったもので、縁あって深大寺境内に移されたとのことです。
(画像出典:「お宮、お寺を散歩しよう」ブログ by 紋谷幹男氏)
(じんじゃだいおうどう)
(前述の通り)「深沙大王」の名は、深大寺の寺号のルーツです。
現在のお堂は昭和43(1968)年に再建されたもので、正面二間半(約4.5m)、奥行き三間半(約6.3m)
入母屋造り銅板葺き、妻入りとなっています
深大寺HPによれば、「深沙堂に祀られる像は高さ57cmほど。どくろの胸飾りをつけ、象皮の袴をはいて忿怒の形相すさまじい鎌倉時代の優作ですが、秘仏として長いあいだ拝されたことがなく、今も厳重な秘仏であることに変わりはありません。」ということでした。
深沙大王像が納められている厨子(ずし)
お堂の背後には、この地の水源であり、深大寺の発祥にかかわる泉があります
(ふどうどう)
不動堂は山門の外側、東へ100mほどの場所にあります
不動堂は不動明王を本尊とする山伏道の寺院で、明治17(1884)年に再建されました。
そして、お堂の裏手には清冽な滝が
不動の滝は東京の名湧水57選の名水。
滝上を不動明王像と脇侍の二童子像が護っています
(さんもん)
山門は、参道より一段高い寺の敷地の入口に立つ正門です。
正面には「浮岳山」(ふがくさん)の扁額を掲げています。
「浮岳山」は深大寺の山号(さんごう)です
屋根裏にあった棟札には、「元禄8(1695)年に1,000人の寄進者・人足によって、このあたりの地形と山門の普請が行われた。」と記されているそうです。
(しょうろう)
文政12(1829)年に建てられた鐘楼は慶応元(1865)年の大火で焼失し、その後、明治3(1870)年に、山門を入った右手に位置を移して再建されました
柱間には若葉の彫り物を施した虹梁(こうりょう。上方に反り返った梁)を架し、木鼻(きばな。虹梁の柱から突き出た部分)として、正面に象・側面に唐獅子が配置されています
木鼻(左:唐獅子、右:象)
この梵鐘は平成13年に設置された新しい鐘です。
旧梵鐘は老朽化(ひび割れ)の為、(後述⑦の)釈迦堂に安置されています。
(ほんどう)
山門をくぐると、いよいよ本堂です。
本堂は江戸時代の元禄の頃に創建されたようですが、慶応元(1865)年の大火で焼失。その後、大正8(1919)年に今の本堂が再建されました。
「無量寿」と書かれた扁額
「阿弥陀仏の寿命は無量である」の意
本堂には阿弥陀仏三尊像が安置されています
中央:阿弥陀如来像
向かって左:勢至菩薩像 向かって右:観音菩薩像
(画像出典:「牡羊座の独り言 Part 1」さんブログ)
(しゃかどう)
釈迦堂には…
釈迦如来(白鳳仏)像
飛鳥時代後期に作られた銅造の釈迦如来倚像が祀られています。(白鳳仏、国宝)
釈迦如来倚像は関東最古の仏像で、7世紀(飛鳥時代後期)の作。
次の文化財は…
毘沙門天立像 (一体)
この毘沙門天は、もとは深大寺の支院の多聞院にありましたが、明治初年に多聞院が廃寺となったため、深大寺の(大師堂を経て)釈迦堂に移されました。
また、調布市の「市内七福神」の一つで、調布市の有形文化財(彫刻)に指定されています。
3つめの文化財は…
梵 鐘
そう、前述「⑤ 梵鐘」の先代が展示されているのです
釈迦堂に安置されている旧梵鐘(永和2(1376)年製造)
この梵鐘は銅鋳製で、高さ125.5㎝、口径68.8㎝。
都内に現存する梵鐘としては、港区の阿弥陀(あみだ)寺の元徳2(1330)年と、板橋区の大堂の暦応3(1340)年の梵鐘に次いで、都内で3番目に古い紀年銘のある古鐘です。
(がんざんだいしどう)
元三大師堂は幕末の火災で類焼しましたが、慶応3(1867)年に本堂西の崖地を削って造成した敷地に位置を移して再建されました。
(画像出典:「お宮、お寺を散歩しよう」ブログ by 紋谷幹男氏)
元三大師堂が本堂の再建に先立って復興されたことは、厄除元三大師が如何に多くの信者を集めていたかを物語っていますね
元三大師堂に安置されている元三(がんざん)大師(慈恵(じえ)大師)像は、厄除け大師として信仰を集め…
「元三大師像」。高さ約2mで日本最大の肖像彫刻
毎年3月3・4日に行われる厄除元三大師大祭では、だるま市が開催されます
【トピックス】
コロナ禍に苦しむ2021年11月、「元三大師像」の内部に納められた胎内仏(たいないぶつ)「鬼大師(おにだいし)」が疫病退散の願いを込め、205年ぶりに公開されました
205年ぶりに公開された「鬼大師像」(高さ約15cm)
このとき、張堂興昭(ちょうどうこうしょう)住職は「コロナ禍に苦しむ世情に厨子(ずし)の扉を開く時が来ました」と話されたそうです
鬼大師像が納められた厨子(左)と張堂興昭住職
ここで…
お勉強 ② 元三大師とは
元三大師とは、良源(りょうげん)という天台宗中興の祖である高僧です。
元三大師(=良源、延喜12(912)~永観(985)年)と
良源の化身「角(つの)大師」(魔除けの護符)
元三大師を祀る寺院は全国にいくつもあります。
ざっと挙げただけでも…
(えんめいかんのん)
⑦の元三大師堂から左手の小道を登っていくと、断崖に祠(ほこら)が見えてきます
祠には「延命観音」が安置されています。
(注:延命観音とは、三十三観音の一。呪詛(じゅそ・)毒薬の害を除き寿命を延ばすという)
【由来】
昭和41(1966)年の秋田県象潟港工事に際し、海底の大石を引き上げたところ、表面に延命観音が彫られていました。
大石に彫られた延命観音
拡大すると…
この彫刻は第3代天台座主の慈覚大師が自ら刻まれたと伝えられ、縁あって発見の翌年に深大寺に寄進され奉安されました。
(かいさんどう)
本堂の北側に位置する開山堂は、昭和58(1983)年の深大寺開創1250年大法会記念事業として新築された奈良時代様式のお堂です。
本尊は(薬坪をもった)薬師如来。
脇侍に弥勒菩薩座像と十一面観世音菩薩立像が祀られています。さらには、開基満功上人、天台宗第一祖惠亮和尚の尊像も奉安しています。
以上、深大寺の見どころを10ヶ所ご案内したところで、今回もまた「1ブログあたりのアップロード容量」が限界になってしまいました
「深大寺シリーズ」(でもないか)は、あと1回続きます
1. 深大寺蕎麦~
2. 深大寺参拝~
3. 深大寺での大発見~
これがまた、私にとっては「ヨダレもの」でした。
どうぞ…
お楽しみに~
今日の一句です。
深大寺では「分散初詣」を勧めており、参拝者はまばら。。。
そんな風景を詠んでみました
ではでは
深大寺に目覚めたろっきぃがお送りしました