東日本大震災から15年という節目に生まれた、ゆづ×ゆずのコラボによる震災伝承ソング「幾重」のプログラム

3月に放送された「TOHOKU HEART FES」での羽生くんのコメントを見て「もしかしたらいつか『花は咲く』のように氷上で演じてくれることがあるのかな?あったらいいな」と思っていたのですが、こんなに早く、しかもセルフコレオで実現してくれるとはキラキラ

インタビューを読むと曲が出来た段階で既にコラボの話が決まっていたみたいですね(最初から演じる前提で曲を聞いたと話していたので)。「花は咲く」の時は様々な方が歌われたり朗読等で演じられるなど様々なメディア展開をしていく中の一環としてだったと思いますが(平昌の後も複数のアスリートの皆さんで歌い継ぐ動画とかありましたし)、今回は最初からゆづ×ゆずコラボとすることを前提としていた訳で……何というか羽生くんがこの12年間積み重ねてきたもの(アスリートとしてもアーティストとしても被災地支援という意味でも)の尊さと貴さを実感します。

思えば12年前は奈々美先生の振付で(曲の解釈を奈々美先生に褒められて照れくさそうに笑う羽生くんが可愛かった…)、照明や演出などある程度お膳立てされた中での演技でした。今回は曲の解釈も振付も衣装も全て自分で、そして当日の収録のカメラワークの打ち合わせも行うなど「どう見せるか」まで関わっていて、これもまた羽生くんの12年(特にプロになってからの4年)の積み重ねの結果なんですよね。

 

東日本大震災から15年の節目を迎えた今年。

勿論羽生くんが話していたように「〇年経ったから」と単純に数字で区切れるものではありません。未だ復興の途上の場所もまだまだあるし、そこにはこれからも息の長い支援が必要なのは確かです。

それでも、震災を知らない世代が増えていく中で、時間と共に人々の記憶が薄れゆく中で、どうやって震災を風化させずに語り継いでいくのか。

「復興への支援」から「記憶や教訓の伝承と継承」へ。

東北のみならず全国へ世界へと伝えていくことを目指して制作されたのがこの「幾重」の楽曲。ゆずの歌声と羽生くんの演技に触れることで震災の経験や記憶や教訓へと繋がることが出来る、いうならばアーカイブへと繋がる道標のような存在になっていく事を期待されているのかなと感じました。

 

まぁこれはどこまでも心配性のオカン気質なファンのいつもの戯言だとスルーしてくださって大丈夫なのですが(というかスルー推奨あせる)。

このタイミングで羽生くんが自分自身の抱える傷と向き合えた(自分自身も傷を抱えているという事を受け入れられた)のは本当によかったなと思うんですよ。

今でも震度1~2程度の揺れでも敏感に反応して動揺してしまう、トラウマ、と話していた羽生くん。3月11日には取材を受けたくないから話があっても断っていた(その話をメンシプらじおで聞いた時、notte stellata2023のあの日程を滑り切るのはもの凄いきつい事だったんだろうなと思いました)、その日アイリンで演技するのもきつい(公式YouTubeのレクイエムは公開が3/11ですから別日の収録ですよね)。それってかなり深い心の傷だと思うのですが、それでも「自分は津波にあっていない」「自分は何も失っていない」と傷から目を逸らして蓋をしてきたのが彼のこの15年だったのかなと思います(サバイバーズギルトに近いのではないかという事は過去にブログにも書きました。最初に24時間テレビに出演した2014年の放送でそれが顕著だったなと。その後あまりそういう様子は見られなくてちょっと安心していたんだけど、notte stellata2023でまだそれが続いているという現実に衝撃を受けたのは記憶に新しいです…)

そうやって生きてきた彼が自分の心の内と向き合って「自分も被災者であり傷を抱えている」と認めることが出来た。そしてそれと共に生きていくという想いを込めて「Happy End」と「幾重」というプログラムを作りだした。更には3/11のあの時間にアイリンで「天と地のレクイエム」を滑る事が出来た。これってとても大きな一歩だと思うんです。

NHKのインタビューの中で羽生くんは「スケートと身体が残っている自分は中々被災者であるとは言えない時間もあった。この曲はそんな自分でも救っていただける楽曲だと感じた。ふたをしていた記憶と上手く付き合えるように振り返るきっかけになった」と話しています。もしかしたら「TOHOKU HEART」のプロジェクトで「幾重」という曲に出会ったこと自体が大きなきっかけだったのかもしれませんね(勿論私の憶測でしかないですが)

 

うーん戯言が長いなあせる

 

演技そのものに関してはもう皆さん散々語ってらっしゃるから今更なんですが汗

大切な人がいない、その風景を少しずつ受け入れていく

でもその人の残した温もりは過ぎゆく日々の中でも色褪せず自分の記憶に残り続ける

だから歩きだす、前へと

積み重なった思い出、これからそこに積み重ねていく思い、皆痛みを抱えながら、でもその痛みも思いと共に幾重にも重ねて未来への道を紡いでいく

悲しみも痛みも喪失もそこに間違いなく存在するのだけれど、でもそれを癒し慈しむ暖かさがそこにはあって、幾重に積み重ねるのは過去の思い出だけではなく未来への歩みもだと、そんな印象を曲と演技から受けました。

特に後半、変調していない(よね?)けれどドラムやベースが加わって曲調が変わってからは、様々な痛みを乗り越えて前に進んでいこうとする気持ちを振付から感じる部分が多かったように思います。

例えば前半の「会いたい」と願う時にその手は何処にも届かず、「会えない」現実を受け入れようと前を向いた時に伸ばしたその手は何かを掴んでいる。その大事な何かは自分のなかに宿っているのだと自分を鼓舞するかのように胸を叩いて一歩前へと進みだす場面だったり、終盤に大きく舞うディレイドアクセルからの雄大なイーグルだったり。

対照的に前半は嫋やかで柔らかな印象で。何しろ冒頭のハイドロが今までに見たことがないくらい柔らかくて優しかった。どうしても震災を思い浮かべると海という言葉は悲劇を思い起こさせるものになってしまうんだけど、ゆずは大事な人への届かない思いを受け止めてくれる海を優しく歌い、羽生くんもそれを優しく氷に触れることで表現していて、とても心に響きました。ほぼ助走のクロスもなく、手を氷上についてバランスを取るでもなく(そっと優しく触れるだけ)、あんなに穏やかなハイドロがこの世の中には存在するのですね……

全体通して感じたのは「Happy End」や「PREQUEL」と同じように演技がシームレスだったということ。エレメンツのプレパレーションを極力排除するという羽生くんの試みは続いていて、それが振付と曲をより強く結び付けていて見る人に伝わりやすくなっているのではないかと感じました。

最後のスピン、舞台裏映像で「人々の様々な思いや人生に自らの人生も重ねる」と語られ繰り返し色々なパターンを試していましたが、最終的には「トゥアラビアン→1~2回転のキャメルとアップライト→トゥアラビアン→CCoSp(但しビールマン入り)」という構成で。振付段階では難しいポジションも試していましたが、それではなく様々な形のスピンを重ね合わせていく事で「重ねる・重なる」という想いが一番伝わる、ということなのかな?最後に集めた氷の欠片を握りしめて天を仰ぐ姿まで、とても美しい終わり方だなと思いました。

 

この素晴らしいコラボ、勿体ないのは実際に何処かで演じる機会がなさそうなこと。

「花は咲く」も会場で滑ったのはたった3回なんですよね。2014年NHK杯エキシビション、2016年NHK杯スペシャルエキシビション(但しグループナンバー)、2021年ストックホルムワールドのエキシビション(但しほぼ無観客)。何せNHKの企画だからNHK絡まないと演じる機会がないあせるそして競技辞めた今は更に機会がない……ノッテは日テレの企画だからまず無理だし、単独公演に使えるかといったら更にハードルが高そうな気がする(PREQUELを見る限り4thもコンテンポラリー色強そうだし)。

NHK様、「世界に伝える」のならば、公式サイトもいいのだけれど是非YouTubeに上げてはもらえませんでしょうか……その方が確実に世界に広がると思いますのでお願い

 

 

何でこんな中身のない感想書くのに1週間以上かかってるんだろうなぁ(泣)

本当ならとっくに書き上げてPREQELの記事に取りかかってる筈だったんですが……アフターパンフレット届くまでに書けるかなあせる