※前編を1本の記事にまとめて再投稿しようかとも思ったのですが、書いた時期がたまアリ公演後から千秋楽後まで2ヵ月にも渡ってしまったので断念しました汗(まとめる為の細かい修正に余計に時間がかかるのであせる)

 

そんな訳で「前編その3」、前回のマスディスからの続きになります。

 

 

荒廃した街にひとり佇み「取り残された憎悪たち」との戦いに勝利したことに安堵したNovaですが、降り始めた雨を見つめながらふと我に返ります、正義を貫けて、勝って、それでよかったのだろうか、と。

ここで興味深いのがNovaの「わたしの『音』の力は『再生』のチカラ、戦いや壊すためのチカラではないはず」という言葉です。

観客側の多くはNovaが大量殺戮兵器として生まれた事を知っています。だからNovaが「取り残された憎悪たち」を排除出来たことに疑問を持たない。でも記憶を失ったNovaにはその自覚はなく、自分の「特別なチカラ」についての知識はルームで案内人から聞かされたものしかない。その案内人も実は「Novaの音の力は再生のチカラ」とは一言も言っていないんですよね、言葉や文字を「音」として感じ身に宿すことが出来る、その一端が「命の残響を再生するチカラ」としか言っていない。記憶のないNovaはそれが自分の力の全てだと受け取っていたんでしょう。だから何故その音の力を破壊に使ってしまったのか戸惑った。

マスディスの記事で「原作のP17の12行目以降のNovaはNovaなのか?」という事をちらっと書きました。そこまでは「再生」されたその場の記憶を受け止めるだけだったNovaが「わたしの正義」の名のもとに残された憎悪を殲滅する……私の想像に過ぎないんですがその時のNovaはそこまでのNovaではなく、過去に眠らされる時に封印されたNovaが憎悪に触れることで表層に浮上してきたのかなと。でもまだこの時点でNovaはそれを自覚していないので戸惑いと不安だけが積み重なっていき、そして「自分とは何なのか」という自問自答に入り込んでいく……

この自問自答を「呟きが世界を黒く塗りつぶしていきNovaを取り囲んで追い詰めていく」と描写したMIKIKO先生&映像制作チームに全力で拍手を送りたいキラキラ「いつか終わる夢」での文字の使い方も素晴らしかったけど、今回は文字と言葉が質量をもって場を埋め尽くしていくかのようで孤独な自問自答の崖っぷちさがとてもよく伝わったと思います。

そして「わたしが目覚めた部屋で見つけたあの名前は、ただの鉄板に刻まれた傷で、わたしではない」という一文を「VGH-257」という表示を「わたし」に書き換えようと点滅するさまで描いたのも、自我を確立しようとするNovaの葛藤が現れなのかなと感じました。

「『わたし』とは、何?」という問いから一歩踏み込んで「わたしは『わたし』を見つけたい」という欲求、それに応える形で開かれたルームの扉ですが、そこで語られた案内人の言葉はNovaへというよりは羽生くん自身の自問自答だったように思います。記憶のないNovaに「何方かの人生を歩みたいと思われたことはございますか?」という問いはナンセンスだし、その後に続く言葉も羽生くんのこれまでの様々な葛藤を暗に示しているようにも感じられますよね。

この問いに対する羽生くんの答えは多分もう定まっていて。千秋楽後の囲み取材で「最近は孤独を感じる事はあまりない」と話していたけれど(孤独だったのは2019年後半~2021年頃だったんじゃないかと勝手に推測)、それを乗り越えてあるべき自分を掴んだ地平に彼は今立っている。

その答えが、「貴方の『貴方』という言葉の音」が、ここから始まる怒涛のピアノコレクションなんだと思います。

 

余談ですが。大量殺戮兵器としてのNovaの能力について物語の中では具体的に書かれていない事が、Novaという存在の解釈を難しくしているように思うんですよね。まぁそこは物語の本筋ではないので仕方ないのですが…そこまで描いていたら違う方向のSF作品になってしまうしねあせる

私はサイコクラッシュのようなものなのではないかなとイメージしています……遺伝子操作でそれが可能なのか?憎悪という形のないものを殲滅出来るのか?という事を棚に上げるのが前提ですが汗

サイコクラッシュって何?と言われると超能力という以外上手く説明出来ない……笹本祐一の妖精作戦の和紗結希なんだけど←例がマニアック過ぎる…!ちなみにラノベの直系の先祖と言われるような40年前のジュブナイルSF小説ですが興味ある方は探してみてね…結希3巻目に出てくるよ…

 

ピアノ曲が一番自分らしく滑れるのを羽生くんが自覚したのがいつからかは正確には分かりませんが(どこかのインタビューで話してたような気がするんだけど雑誌多すぎて探せない……春になったら今度こそ整理しないとヤバい汗)、遅くともバイオリンと管弦楽の為のロンカプをピアノアレンジで演じようと思った競技最後のシーズンには確信があったんだと思います。

だからこそ、ピアノ曲のプロをひとつ滑るのではなくて短い数曲を続けて演じて最終的にバラード第1番まで繋げていくというという初めての試みを選んだのだと思うのですが、それも盟友で親友の清塚さんと師匠(やまぽんが勝手に呼んでるだけ)のジェフの存在があってこそなんだろうなと。

滑り始めてね、ああジェフだなって思ったんですよ、腕の使い方とか足元のリズムの取り方とか。プロに転向してからウィルソンやシェイリーンとはプログラムを作っていたけれどジェフとはなかったので(去年のFaOIのオープニングコラボだけかな?)、もう一度見たいと思っていたので本当に嬉しかった……何ていったらいいのか、羽生くんのドラマチックな部分を出すには多分シェイリーンが一番で、スケートの美しさと情緒を見せるならウィルソン、そして旋律やリズムの可視化と同調性を見せるならばジェフだと思うんですよね(伝われ)。

(関係ないけどOtonalってピアノ以外の楽器どの程度入ってたっけ?と思って2019年NHK杯動画見て、4Sのあまりの美しさとそれにGOEが3.74しかついていないのを見て憤死しそうになった…)

ピアノコレクションは全5曲、氷上や紗幕に羽生くんの手書きの文字でタイトルが描かれてから始まります。

「Awake(覚醒)」: 新たな道を進む

「Impulse(衝動)」: 命の衝動がわたしを動かす

「Philosophy(哲学)」: 哲学を命に刻む

「Truth(真実)」: 真実を見つける旅へ

「Zero(ゼロ)」: 全てが始まり全てが終わる

それぞれのタイトルを演技で表現しているのだとしたら、「Philosophy」が無音からの4Tから始まりチョクトー→チェンジエッジからの3Aだというのは中々に意味深ですよね。そして「Truth」が毎回変幻自在なコンビネーションスピンだというのも。ジャンプもスピンも音楽表現だという羽生くんにとってそれが哲学であり真実なんだと捉えました。

スケーティングの伸びやかさを堪能するAwakeから始まり少しずつ複雑さを増していくプログラム、圧巻のコンビネーションスピンを経て最後にくる怒涛のステップで構成されたZero。全てが始まり全てが終わるというのは「原点」という意味と捉えていいのかな?何というかジェフと創り上げてきた数々のStSqを思い出しました。

ジャンプに苦戦した公演もありましたが、無音からの4Tは全公演で全て成功。例えジャンプがハマらなくても他の部分には一切影響を感じさせない完成度の上に、最終の千葉公演ではリンクが小さくなったにも関わらず全てクリーンに決めるという素晴らしさキラキラまさに羽生結弦の真骨頂ともいうべき演目でした。

それをより引き立たせたのが素晴らしいプロジェクションマッピング。紗幕から氷上までひとつの譜面が流れるように続いていたり、紗幕で踊っていた音符が氷上へと落ちてきて譜面となったり、紗幕が鍵盤になったり、実に多彩な表現で羽生くんのスケートを彩っていましたね。ピアノコレクションという演目に対してこの演出をもってきたMIKIKO先生達演出陣も凄いし(音符はフォントではなく音楽家の方に手書きでと依頼したとのこと)、この目まぐるしい映像と照明の中でジャンプ含めて演じ切った羽生くんも凄いキラキラ

 

ステージにELEVEN PLAYさんが現れ、案内人の哲学みを深めた語りに合わせてのコンテンポラリーダンスとプロジェクションマッピングで物語は続いていきます。

「今」と「過去」と「未来」の関係性、過去も未来も「今」があってこそ形作られるものでそこから逃れることは出来ないという語りは後半のポエムでNovaが述懐する事に繋がっていて、Novaが自己探求を深めるのにルームでの問答が大きく影響しているのが伺えますね。

スクリーンには様々な事が映し出されますが、中でも「生きたい」「生きる」という言葉が強調されているように感じました。それが一番案内人からNovaへ届けたいメッセージなのでしょう。

このパートでの案内人は、そこまでの「Novaの問いに対して言葉を授ける」という立ち位置から一歩踏み込んで「問いが生まれる前にNovaに語りかけて彼の答えを求める」という状態になっています。

「では『運命』はあると思いますか?」という問いはNovaが抱いた疑問ではなく案内人が持ち掛けたものです。そして「しかし私は、『運命』を信じたいと思うのです」「信じ続けたいのです」と語ったのちに「さぁ、貴方の、『運命』の言葉の『音』を、奏でてください」とNovaに答えを示す事を求める。

羽生くんは案内人を「神様みたいな存在」と話していました。ピアノコレクション前辺りからNovaの問いに応えてサポートするだけでなくある方向に導こうとする意図を感じるのですが、彼の自我というのはどこにあるんでしょうね……

 

羽生くんが「運命の音」に選んだのは平昌版のバラード第1番でした。

3シーズン+2022四大陸で演じられたバラ1は、編曲は同じですがジャンプ構成等で全部で6つのバージョンに分けられます(こんなマイナーブログまでお読みのコアなファンの方々には語るまでもないでしょうがあせる)

①3A/4T、3Lz-3T:2014中国杯、2015オータム・スケカナ

②4T/3A、3Lz-3T:2014NHK杯~2015国別

③4S、4T-3T/3A:2015NHK杯~2016ワールド

④4S/3A、4T-3T:2017オータム、2018平昌五輪

⑤4Lo/3A、4T-3T:2017ロステレ

⑥4S、4T-3T/3A(ルール変更で③とはStSqが違う) :2020四大陸

PBであり自身も「完成形」と語った2020四大陸ではなく平昌版を選んだのは、オリンピック連覇を引き寄せたのがこのバラ1だったから。どうしてもFSのSEIMEIが注目されがちですが、SPで完璧にバラ1を滑ったからこそ点数だけでなく心理戦で大きなアドバンテージを取れたのが勝因のひとつでしたよね(続くネイサンとコリヤダの崩れっぷりから「羽生が魔物を召喚した」とまでいわれてましたから)。

当時後半にクワド含むジャンプ2本持ってくる選手は数人いましたが、最後をクワドコンボにしていた選手が羽生くんしかいませんでした。ルール改正後も羽生くんが競技にいた間で最後をクワドコンボにしたのはネイサンだけでしたね(羽生くんのWRを超えるにはそれしか方法がありませんでしたから)。今でもマリニンだけだと記憶しています。

それくらい難しいことなんですよ、後半の、しかも最後にクワドコンボ跳ぶっていうのは。ましてや30分以上演技した(3Aや4T含むプログラムこなした)後、ショー仕様に照明を絞ったリンクでは尚の事。「いけるやろ」と思ってやってみた羽生くん本人ですら苦戦するのですから。

中々全てのジャンプが揃わなくて。私はコンディションよりも4Sと4T-3Tを跳ぶ方向の問題なのかなと思ったのですが(ステージ側の壁に向かって跳ぶので圧迫感があって距離が掴みにくいのかなと思った、たまアリで3日目に成功したのはその辺の感覚が掴めたのかなと)、広島公演を経て最終的にリンクサイズの小さな千葉公演で2日共完璧に滑り切ったのはまさに羽生結弦の底力だと思いました。

GIFTでバラ1を演じた時、このプログラムは夢が叶った象徴として演じられたんだろうなと感じました。そして今また「自身の運命の象徴」として演じた、羽生くんにとって本当にかけがえのない大事なプログラムなんでしょうね。

 

バラ1の興奮冷めやらぬうちに会場内の照明が落ちてほぼ暗闇となり、緑の照明が薄っすらと差し込む氷上に羽生くんが無言で赤のラインを氷上に描いていきます。

描かれたラインは8本、その8本で描き出された図形は羽生くんが響かせたエッジの音と同時にスクリーンへと映し出され、そして軍旗となって風にはためく、兵士達の鬨の声と共に。その音から逃れるように耳を塞ぎながら羽生くん=Novaはリンクから去っていく。

バラ1の世界から物語の世界へと観客を引き戻す意図があったと思われるこの演出(たまアリ3日目から場違いな奇声が上がらなくなったのは本当によかった…)、羽生くんの演技も回を重ねる毎に変化していきました。図形を描き終わった後、まるで兵士の行進のような足取りでリンク中央に向かう姿と、鬨の声を聞いて耳を塞ぐ姿、その差はこの後の物語を暗示しているようでもあります。

それにしても最初に菱形を描く時はマーカーらしきものは氷上にはなくてリンクサイドの距離表すライトだけですよね?赤のラインは後からついてくる形だし、よくズレないで書けていますよね……

 

自分とは何か、運命とは、生きる意味とは何か。答えの出ない問いを自分に繰り返しながら、どこに向かえばいいのかも分からないまま疲れ切った身体で歩き続けたNovaは、いつのまにか「最期の戦い」が起こった場所に辿り着きます。

「音」から「再生(replay)」されたのは最期の戦いに向かうVGH達の姿。この場の記憶であってリアルではないと分かりながらも呼吸することすら躊躇われるような張り詰めた空気と静寂。

このVGH達の姿を映像では「薄汚れあちこちひび割れたおもちゃの兵隊」で表現しています。デフォルメされているが故にVGH達の追い詰められた状況と全てを賭けて背水の陣で最期の戦いに挑もうとしているのが伝わりますよね。

この後に起こる悲劇を予感して音を遮断しようとするNova、それなのに生々しい音たちが脳内で勝手に再生を行おうとする、目を逸らすなと言わんばかりに。そして再生されてしまう命の終わりと世界の終わり。

その先に見えた「どこかはっきりわかってしまう姿」の正体は原作でははっきりとは書かれていませんが、前後の文章からかつてVGH軍の中にいた大量殺戮兵器としての自分の姿であることが想像出来ます。これまで薄々気付きながら気付かないふりをしていた「VGH-257 Nova」という存在が何なのか、自分の力が何の為のものなのか、それが目の前に突きつけられる。自分は戦う為の存在で、この力は敵を殺す為に使われていたのだということを。

そしてここまで「命とは何か、生きるとは何か、自分とは何か」を問うことで自分の中に形作られてきた何かは、亡霊のようにこの場所に残り続ける憎悪、禍々しい残留思念のような自分の分身と戦って殲滅すべきだと訴えてくる。再び取り込まれてはいけない、あの時のNovaへとは戻ってはいけないのだと。

戦い方はもう分かっている、さっきの自分の中に眠る過去のNovaがやってみせてくれたから。あとは自分の過去と今の答えをまっすぐ受け止めて戦うだけ。「強さ」の音を響かせるだけ。

あの禍々しい暗闇の中に立つNovaは果たしてどちらのNovaを映していたんでしょうか?私には何となくNovaが見た過去の亡霊のように感じられました……

 

最初に原作を読んだ時にはこの「強さ」の音に何を持ってくるのか全く想像出来ていなかったのですが(というかどれも全く予想出来てない汗)、羽生くんがリンク中央に座って「Goliath」が流れだした時にとても腑に落ちたというか、すんなり物語に入り込んだような気がしました。

一般的にゴリアテと聞いたら連想するのは旧約聖書の「巨人ゴリアテを倒すダビデ」の話でしょう。屈強な巨人の兵士に立ち向かう少年の戦いの話、「立場的に弱小な者が強大な者を打ち負かす喩え(Wikipediaより)」としてよく使われています。

ここでNovaが戦ったのは、途方もなく大きな負の「音」を纏う過去の自分自身と戦場に亡霊のように残る憎悪達。それらと死力を尽くして戦うのは巨人に立ち向かうダビデを連想することも出来るかなと。

同時に元々はNova自身が強大な力を持った「兵器」、つまりGoliathのような存在だったと考える事も出来る訳で。羽生くんがどんな連想でこの曲を選んだのか、ちょっと聞いていみたい気がしますね。

これを書く為に久しぶりに公式チャンネルのGoliathを見てみたのですが、纏う雰囲気というか発する気がEchoesとは違っている印象でした。何ていうのかな、公式チャンネルの方は視線が俯き気味で、一見外に向けて攻撃しているようで内向きというか自分の中の狂気と戦っているというか。Echoesの方は視線が前を向いていて全て外に向いて放たれている印象なんですよね。戦うべき相手が見えて倒しにいっている感じ。

ただこれも千葉公演あたりになるとまたちょっと印象変わってきて。天を仰いで叫ぶような仕草が何度も出てきて、戦いながらも受け止め切れないやり切れない感情が迸っているような……今までのケースでいうと最終公演の演技が完成形だと思われるので、この時に感じた姿がこの物語のGoliathなのかなぁ……

 

戦い抜き力尽きて座り込むNova、自分と向き合えたか、認められたかと問いかけられ、震える右腕を押えてその手をじっと見つめたその胸の内にはどんな想いが過ったのでしょうか。受け止めて戦ったけれど、でも決して戦いたくて戦った訳ではない、その力を使うやり切れなさと恐怖があったようにも思うんです。

Novaが眠りに落ちる直前にその足元に広がった僅かな緑と花、無意識に使われただろうその再生のチカラがNovaの胸の内を一番表していたのかもしれない、そう思う第一部の終わりでした。

 

 

 

以上、あまりにも今更なやまぽん的「Echoes of Life」第一部の感想&解釈?でした。遅い上に長くで済みません……合わせて2万字近くあるよ自分でもドン引きだわあせる

さて、更にドン引きなことにまだ手付かずの後編(第二部)が残っております(笑)

目標は「ノッテ前までに更新」だったのですが、あと10日しかないことと自分の勤務日程(来週ノッテいく為に出勤日前倒しで入ってる)を考えるとほぼ不可能です汗

取りあえず3/6には書けたところまでは上げたいと思います。残りはノッテの観戦レポ書いた後に3月中を目標に……完成させられたらいいなぁ……