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”BRICS銀行”
今般のSWFT停止制裁の話から、思い出した記事です。
実に8年前の「予感」が現実になるきっかけになるのか、単なる杞憂?というか微妙ですが…になるのか、、
いずれにせよ引き金としては乱暴と言わざるを得ない事態ではありますが…
感染症対策という曖昧な概念
約7年ぶりの新規記事、8年超ぶりの「曖昧な概念」シリーズで、です。
政治的な要素が多分に絡む内容なので、公私ともに発言を避けてきましたが、、
基本的な経済政策に関連することゆえ、テーマ「経済世論一般」にて。
巷では、飲食店の営業自粛についてとか、ワクチン接種の順番についてとか、さらにはこの期に及んでのオリンピックの開催是非についてとか、足下の問題についての議論が渦巻いているところですが、それについてはとりあえず触れず、もう少し本質的な部分で「??」と思うところについてです。
そもそも「感染症対策」ですが、
・感染拡大を阻止すること
に加え
・感染した場合にきちんと治療すること
さらには
・重症化や致死の回避をすること
に分けられるものと思われます。
故に、自治体等のモニタリング項目は
・新規感染者数
に加え、
・重傷者患者数、死亡者数
・病床使用率
といったあたりが重要指標として採用されているものと考えます。
その前提で、まずは「感染拡大の阻止」からです。
つい最近、「感染対策の切り札」と言われるワクチン接種(1回目)を受けて参りました。
そのなかで、ふと目にした留意事項。
どうやら、ワクチンは「感染症対策の切り札」というものの、「感染した場合の発症を予防」の為のものであって、「感染拡大の抑止」の切り札になるかどうかは「まだわからない」、ということのようです。
加えていえば、現状では「感染者数」=「PCR検査陽性者数」ということになっていますが、よく言われる「偽陽性、偽陰性」が反映されないという問題もさることながら、そもそも「無症状」の「検査陽性」の人を含む数値を議論することの意味については「論点の曖昧さ」を感じざるを得ません。
例えばインフルエンザであったら、そもそも症状がなければ、検査を受けることさえできないわけですし、過去のSARS等々感染症において無症状者を対象とした大規模な検査実施など聞いたことがないなか、無症状者をカウントした「PCR検査陽性者数」で一喜一憂する世論もどうなんでしょう?の印象です。
次に、「きちんと治療すること」についてです。
コロナ禍初期においては、ワクチンの話よりも「特効薬」についての話題の方が多かったと記憶していますが、最近ではすっかりその話は耳にしなくなりました。
もとより、「感染者数ゼロ」を達成した感染症は天然痘だけ、と言われているなか、感染した場合の治療薬の開発、認証の議論が置き去りにされていることは、感染症対策としては片手落ちの印象を受けざるを得ません。
さらには「重症化、致死の回避」です。
たびたび「医療の逼迫→医療崩壊により助かる命が助からなくなる」というリスクが語られ、故に「コロナ専門病床使用率は50%を超えると危険」という指標提示がされているところです。
が、しかしです。
そもそも、日本の医療機関における「病床使用率」は政策によって約80%にコントロールされている、という実態についての議論を耳にしたことはありません。
ちなみにこちら、厚労省HPのデータアーカイブから取得した病床総数と病床使用率の推移をグラフ化してみたものです。
病床数は90年代後半から減少、そして病床使用率は2006年を境に急落、その後もう一段の下落をしたうえで微増という推移です。
思い起こせば2006年=平成18年においては大がかりな医療制度改革法案が成立、医療費の抑制を目的に、一般国民に対しては自己負担割合の引き上げや、初診における「かかりつけ医(開業医)」の利用の推奨等々、医療費の抑制策がとられ、そして医療機関に対しては、慢性期患者の長期入院を排除し、病床数の削減を図るととももに、急性期患者を中心とした病床使用率を高水準に保つことをもって、病院経営の安定化、延いては医療費抑制を図った時期と記憶しています。
つまり、政策により、病床使用率は約8割、とコントロールされているため、今般のコロナ禍のような「予期せぬ病床需要の急増」には、もともと対応できない状況にあった、と思わざるを得ません。
政策も世論も「感染症対策」について、さらにはあらゆる危機管理体制についての本質についての定義も議論もしないまま、「曖昧な論点」をもって、個別事象についての堂々巡りをしていると感じてしまっているのは少数派なのでしょうか・・・