大熊康丈、実名ブログで勝負なのだ -4ページ目

超長期の活動周期

ふと目にしたネットの記事から、です。


太陽の活動周期が近年まれにみる「異常」に陥っており、同様事例はさかのぼること17世紀にまで及ぶとのこと。。





ある意味人為的現象の可能性が高い地球温暖化の問題はさておき、ここ数年「異常気象」という言葉がひっきりなしに聞こえてきますが、それはせいぜいここ数十年間の統計からすると「異常」なのであって、ものすごく長い目でみれば、超長期の気候変動の一環なのかも知れません。





そう考えると、やはりたかだか数十年単位での歴史しかない近代経済学が、異常に膨れ上がった信用経済からくるさまざまな問題について「自己解析」ができず、いつまでたっても「右肩上がり理論」から脱却できないなか、ここ数年起きるさまざまな経済危機をあくまで「異常な事態」としてしか論じていないことも同質なのかもしれません。





たかだか数十年の経験値をもって分析するのではなく、「人類としての活動周期」という超長期的な視点で分析すれば、むしろ金本位制を失った、たかだか数十年間の経済環境こそが、長い人類史上からすれば「はしか」のような一過性の異常事態にすぎないのではないでしょうか。





奇しくも17世紀いえば、わが国においては「鎖国」によって実現された「超低成長経済」のなか、250年も続く世界的にも類をみない高度で平和な社会が構築された時代です。





太陽がその時代の活動状況に似てきているというのも、なにか意味があるのでしょうか。


太陽活動の「異常」があらためて経済成長を前提としない循環経済についての議論を活発化してくれたら、、


そんな思いが頭をよぎる記事でした。




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太陽に元気なし…寒冷化予兆 11年周期の磁場転換起きず、黒点も最少

SankeiBiz 11月18日(月)10時58分配信


 太陽に異変が起きている。今年は太陽の活動が強くなったり弱くなったりする11年周期の中で、活動がピークになる年(極大期)に当たり、通常なら、太陽の北極と南極の磁場が入れ替わる「極域磁場転換」が起きるはずなのだが、いまだに起きていない。さらに、活動ピーク年には増えるはずの“太陽の元気のバロメーター”とされる「黒点」も今年は異常に少ない。今後、太陽は活動の低調期に入り、併せて地球も寒冷化すると指摘する専門家もいる。「全く元気がなくパッとしない。明らかに異変が起きている」。米航空宇宙局(NASA)の研究者、ジョナサン・サーテイン氏は先週、今年の太陽の活動を評して米メディアにこう語った。





 観測史上、太陽は11年ごとに北極と南極の磁場が入れ替わることが分かっている。その詳しいメカニズムは不明だが、当該年は太陽の活動が最も活発になる年で、主に高緯度地帯に多数の黒点ができる。黒点は磁石のように強い磁場が起きている場所で、磁力によって太陽内部の熱が表面から放出されるのが抑えられているため、周囲より低温で黒く見える。黒点の地点は低温でも、その総面積は太陽のほんのごく一部であり、黒点が多発する時期は太陽全体のエネルギー放出量は増大する。





 太陽の活動ピーク年には、常時150~200の黒点が観測されるのが普通で、大量の電磁波や粒子が放出され、こうした太陽嵐によって地球上の電信施設が損傷を受けることがしばしば起きてきた。しかし、今年はこれまで、観測される黒点は概ね50~100ぐらいにとどまっており、ここ200年で最も少ないと言われている。





 また、NASAは今年8月5日、「黒点は少ないが、3~4カ月以内に極域磁場転換が起きるだろう」と予測したが、3カ月半が過ぎた今でも、明瞭な兆しは現れていない。2006年9月に打ち上げられた日本の太陽観測衛星「ひので」が集めたデータによると、太陽の北極はすでに昨年から磁場がS極(マイナス磁場)からN極(プラス磁場)に替わっているが、南極は依然としてN極のままの状態が続いている。その一方で低緯度地帯(赤道近辺)にS極が現れ、観測史上例がない「太陽の磁極の4極化」という異常現象さえ起きている。





 米紙ウォールストリート・ジャーナルによると、ハーバード・スミソニアン天体物理学センターで太陽磁場周期について研究するアンドレス・ハラミージョ氏は「生存している科学者で、これほど弱い太陽周期(活動)を目にしたことがある人はいない」と指摘する。





 かつて、今年と似た現象は17世紀にも起きている。その時は約70年間にわたって黒点がほとんど出現せず、地球は寒冷化した。記録によれば、当時、ロンドンのテムズ川では冬にスケートが楽しめたといい、日本でも京都のサクラの開花が極端に遅れていたことが文献によって分かっている。

「2」から始める「9次産業」

半年超のご無沙汰でございます。
ついついFacebookに依存し、ブログについては日ごろの出来事から遠ざかり、、
と同時に、仕事的にも非常事態続きだったりのなか、なかなか世論的なことを考える精神的余裕もなく、、、


まあ、言い訳はこのあたりに致しまして、新しいテーマを追加、再びブログの世界にも帰ってこようか、と思い、はじまりはじまり・・・です。


新テーマは「9次産業への挑戦」です。
6次産業という言葉は、かれこれ5~6年前から耳に貼りついており、当ブログでも何度かは出てきたものと思いますが、それは基本的には1次産業、すなわち農林水産業を出発点に「1+2+3」ないし「1×2×3」と、1次産業者が2次、3次を取り込み、あるいは進出し、川下の利益を取りに行く、というモデルが一般的であります。


しかしながら、以前も触れたことがあろうかと思いますが、そもそも農業の世界と金融に支配されたビジネスの世界ではカルチャーもミッションも全く異なり、多くの場合単に3次産業者に1次産業者の利を吸い取られるだけ、のモデルに終始してしまうという印象です。

つまり「搾取者」が、巨大特殊金融機関たる農協から、一般商業者ないし金融機関へシフトするにすぎない、という結末です。


ではでは、これを2次産業を出発点に考えたらどうでしょう?
2次産業、すなわち工業においても「スマイルカーブ理論」に基づき、多くの製造・加工業者はやはり3次産業者に「搾取」されてしまいがちであり、その点は1次産業と類似しています。


が、一方でそうは言ってもこれまでの3次産業者との「戦い」の経験は1次産業よりは激しく、また長く続いてきたわけでして、1次産業者がいきなり3次産業で「迷走」するよりはスムーズに入れるのでは、という気がします。
また、生産においても「ものづくり」の感性、ノウハウを「土づくり」や「作物づくり」に置き換えていくことで、少なくとも3次産業者の「机上の空論」で1次産業者をコントロールするよりはうまくいくのではないだろうか、とも。


というわけで、かなり思いつきみたいな感じではありますが、
(2+1)×3=9
つまり、2次産業者が1次産業の力を借りて、3次産業のレバレッジを存分に利用して「9」を得る。
そんな展開ができたらなあ、、

という感じで、しばらくライフワーク化してみようかと、、、


というところで、とりあえず「再開第一号」はこのあたりで。。

さよなら、さよなら、さよなら
また次号で!

おしまい。。。



劇的?ビフォーアフター

すこし久しぶりの投稿は、、
ものすごく久しぶりの芝刈りネタで。
はじまりはじり…


とあるマンション一階の庭。
全く手入れされず、草はボーボー、庭木も無造作に生え伸びているだけ。
かつて愛犬が日向ぼっこを楽しんでいたおもかげもなく…
photo:01


そこでご主人、たまりかねて、自ら「匠」となって改造にかかる決心をしました。

しかし道具もこのありさま。
photo:05


それでもこの錆び付いた剪定鋏を使い、背伸びをしても届かなくなってしまった樹木やとぐろを巻くように生え伸びたつる草と格闘。

しつこい雑草は根こそぎ刈りとり、仕上げは電動芝刈り機で。

そして作業開始から1時間。
photo:03


そこは見違えるようにかつての輝きを取り戻した芝生の庭が蘇っていました。
愛犬がゴロゴロとする芝生が帰って来たのです。
photo:04


ご主人も感動の瞬間でした。

。。
とさ、、
おしまい。。。

ん?
ちょっと大げさ?
いやいやテレビほどでは…

iPhoneからの投稿

「持続可能性」という曖昧な概念

アベノミクス効果なのか、金融を中心に各種データは確実に再び「成長軌道」にのりつつあるようではありますが、、


一方でミクロ的な実感からは、実需が増加基調にあるようにはとても感じませんし、単に輸入品が高くなって、むしろ一般国民の財布のヒモはむしろ固くなっていきそうな予感さえもあり、まだまだ前途多難というところでしょうか。


さて、その「成長軌道」についてですが、これまでもなんどとなく「経済成長」に対する、「偏屈」な持論を述べてきているところですが、その一環として「持続可能性」というコトバについて触れたいと思います。


「サスティナビリティ」の訳語としてよく使われる「持続可能性」。

しかしそれは、人類の営みとして、それが半永久的に「持続可能」な社会を創出、整備しようという観点が根底にあるはずなのですが、どうも一般的には「持続可能な経済成長」という言い回しに使われ、近代資本主義というあくまでも一つのモデルにすぎない制度を「持続可能」にする話にすり替わっているようにしか思えません。


確かに、経済の量的拡大を前提に、プラスの利子を前提にするならば、その社会を「持続可能」にするためには「経済成長の持続」が必須であることは間違いありません。


しかし、限られた地球環境という「所与の条件」があるなか、「永遠の量的拡大」などあり得ないだろうことは、自然科学の視点からすればごく当たり前のことでしょう。


であるならば、人類社会ないし地球環境の「持続可能性」を担保するものは、「持続可能な経済成長」ではないことは自明の理であります。


「持続可能な社会」と「持続可能な経済成長」は実はまったく異なるスタンスにあるということを理解したうえで「持続可能性」「サスティナビリティ」という概念を語るべきと思うところです。


スゴロク週間 その2

その1から、はや1週間経ってしまいましたが、、
先週の日中をまたぐスゴロク旅ルポのはじまりはじまり、、、
です。。。。

クリティカルな行程どおり、夕方発でなんとか珠海市内へ辿り着けた翌日。
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朝からきちんと仕事をし、あっという間に2泊目。
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そして翌日は式典に出席し、、
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次なるコマ、広州へ車で移動。
そして翌日最終日は、
古都広州から、、
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急速なインフラ整備の進む増城を経て、、、
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いよいよ帰途。
東莞から列車で深センへ向かい、、
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5年ぶりに羅湖のイミグレを通って、、、
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MTRで香港へ。
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そして締めくくりも最も安上がりな路線バスで空港へ。
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〆て約1600円ほどで東莞の街から香港空港に辿り着き、、

京都→関空→マカオ→珠海→広州→増城→東莞→香港→成田のスゴロクの旅、無事上がれました、とさ。
おしまい。。

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