大手マスコミの大衆迎合 | Cの憂鬱

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先の無い高齢者のつぶやきです。Cは、お隣の怖い国、お金、職業などなどの頭文字?、かな。

大手マスコミの大衆迎合 それと同様に、かつては日本のメディアも信用できました。大正時代ぐらいまで、我国のメディアはある程度機能していたのです。ところが、日本が国際連盟を脱退する1933年前後から変わり始めます。 その当時の大きなメディアと言えば、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞でした。その中で、いわば正しいことを報じていた毎日新聞が最も販売数が多かったのですが、それがどんどん部数を減らし、逆に国民を煽った朝日新聞がどんどん売り上げを伸ばしていきます。 たとえば、国際連盟の脱退問題を報じるときに、毎日新聞はこの問題が世界の中でどういうことになっているのか、日本が脱退するというのはどういうことなのかということを比較的冷静に報じました。 その一方で、朝日新聞は「国際連盟を脱退して戦うぞ!」というような記事を書きました。朝日新聞は現在では平和を推し進めるような新聞として多くから認識されているようですが、戦争が始まったところまでは戦争を煽りに 煽っていたのです。日本が開戦へ舵を切ったきっかけは、この国際連盟脱退にあったと言われています。 多くの日本人はその当時、戦えば必ず勝つと思っていて、日本に理不尽な要求をする欧米列強をこらしめたいという気持ちがありました。その結果、毎日新聞からは読者が離れて、国際連盟脱退を煽った朝日新聞は大きく部数を伸ばしました。 このことによって、国民を煽るような新聞を出せば売れるということがはっきりとわかったのでしょう。それ以降の日本のメディアというのは必ずしも“事実”を報じなくなり、事実よりも「読者が喜ぶこと」「読者が気にかけている」ことに記事の中心を置くことになりました。 今では考えられませんが、その当時の日本国民は戦争をすることにとにかく夢中で、子どもたちは兵隊さんになることを望んでいました。その時代に朝日新聞は戦争を煽 ったわけです。 しかし戦争に負けてしまうと、国民は平和を望むようになりました。そうすると、朝日新聞も「平和を守る新聞」のような記事を書くようになります。 また、戦前の朝日新聞は野球にものす ごく反対していました。早慶戦( 早稲田大学と慶應義塾大学の対戦)が始まると「こんなものは朝日新聞のプライドを賭けて潰すぞ」と言っていたのですが、戦後になると全国高等学校野球選手権大会を主催するようになりました。 このように国民が望むものとか、国民が怖がるもの――――、現在で言えば台風報道や新型コロナウイルス報道など、そういうものを煽る事実と異なる報道をするようになりました。 実は、NHKも1970年から80年ぐらいまでは比較的きちんとした報道をしていました。ところが、その後に低視聴率が問題になったり、NHK廃止論などが出てくるようになってから変質していきます。 現在のNHKは民法や新聞同様に、国民を煽るようなもの(環境の時代には「環境が悪くなるぞ」という報道。現在の「新型コロナウイルスは怖い」という報道)、、、、こういった報道が集中することになってしまいました。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060704 P176