第四章 検証編④ 日本全体を覆う「錯覚」の正体とは? 先の大戦と日本文化を考察 | Cの憂鬱

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先の無い高齢者のつぶやきです。Cは、お隣の怖い国、お金、職業などなどの頭文字?、かな。

第四章 検証編④ 日本全体を覆う「錯覚」の正体とは? 先の大戦と日本文化を考察 「民の幸福」を願ってきた日本の指導者たち 本章では、“錯覚”をテーマに、「理系思考」のレッスンをしていきたいと思います。日本全体を覆う「錯覚」ではっきりしているのは、「マスメディアは正しい」と多くの人が考えていることです。いまだに、「NHK等の地上波のテレビ、大新聞は間違いを報じないだろう」という前提にあるのです。それは、日本の「歴史」と深く関係しています。 大和時代(古墳時代)の仁徳天皇は、人家のかまどから炊煙(すいえん)が立ち上っていないこと(不況)に気づくとそれから3年間の租税を免除しました。その後、煙が見えるようになると「民のかまどは賑(にぎ)わいにけり 」と喜びました。 このような国のリーダーはほぼ日本にしかいませんでした。他国の支配者たちは、いかにして民衆から財を吸い上げ、自分が豊かな 生活をするかということに執着してきたからです。 日本人の指導層、天皇陛下はもちろん、太政大臣、征夷大将軍という人たちは、民がいかに豊かに楽しく暮らせるか、ということが目的でした。 日本に住んでいるとそういうことがあたりまえだと思うでしょうが、他国(地域)は違います。世の王様というのは、民が幸福だから自分が幸福になると考えているわけではありません。自分が立派なお城に住み、きれいな女性を何人も周囲に侍(はべ)らせて美味しいものを食べる生活を求めるので、民から金品を取り上げることに注力していたのです。 そのため他国の民衆というのは、自分たちを支配する人間をほとんど信用していませんでした。 これに対して、日本は「お上に任せておけばいい」という意識がずっと続いてきました。それは「お上は民とともにある」という伝統があったからです。 たとえば、日露戦争のときに明治天皇が、毎日兵士の食べているのと同じ粗末な食事をされていたというのは有名な話です。 こういった指導層に対する「信頼」は、日本独特のものでしょう。 『フェイクニュースを見破る 武器としての理系思考』武田邦彦 (ビジネス社刊) R060703 P173