母の日に感謝を伝えたい。 | 刑務所体験記&更生道

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刑務所を出所して半年、刑務所内の現実、出所後の苦難と更生の道を辿るドキュメントブログです。

今日は母の日。

 

11年前の母の日の前日、私は逮捕された。

 

逮捕から留置場、拘置所、刑務所と私は移送された。

 

留置場、拘置所は実家の近くだったが、刑務所は車で片道3時間程度の距離。

 

刑務所も訳あって移送され、さらに遠く海を越えた施設にも。

 

年老いた母は、逮捕され、起訴され、実刑判決を受けたバカ息子を励まし続けた。

 

どんな時も味方でいてくれた。

 

毎月のように遠くまで面会、毎週のように手紙をくれた。

 

面会室で年老いた母が刑務官に頭を下げ、申し訳ありませんと言ってる姿が忘れられない。

 

面会室を出ていく母の背中が小さくなるのを忘れられない。

 

差し入れは何かいるかい?辛くはないかい?体は大丈夫かい?との言葉に胸が痛くなった。

 

何度も遠いから来なくていいよと伝えても、毎月遠くは海を越え来てくれた。

 

面会室で母が言った言葉。

 

私が育て方を間違ってごめんね、私が悪いのよって。

 

私の両親は本当に真面目を絵にかいたような人。

 

愛情も注いでくれ不自由など何もなく育ててくれた。

 

母に言った。

 

俺が育ち方を間違えただけだから。

 

母ちゃんは何も間違ってない。

 

俺が間違えただけだからって。

 

面会室で涙する母の姿を見た時、自分の愚かさ、卑怯な部分、弱さと強さをはき違え生きてきたことを心から後悔した。

 

39歳で逮捕、刑務所、年老いた両親のことなど何も考えず犯罪行為を行った自分が情けなく死にたいとさえ思った。

 

それでも毎月の面会に手紙が私を支えた。

 

子供達のこと、家族の事も私に心配させまいと何事もなく大丈夫だからといつも言ってくれた。

 

そんな母への手紙に辛いだの苦しいだの書けるはずもなく、自分は大丈夫だからといつも書いて送った。

 

死ぬほど辛いこともあったが、それ以上に苦しみ悲しんでいる母を想えば、自分のそれなど大したことではなく感じた。

 

あれから11年の月日が流れた、今もきっと母の心配は絶えないのかもしれない。

 

母ももうすぐ80歳、少しでも長生きしてほしい。

 

いつか自分の育て方は間違っていなかったと思えるよう私が努力したい。

 

母が心穏やかに過ごせるよう努めたい。

 

面会室を出ていく母の後ろ姿を一生忘れることはない。

 

忘れてはいけないと感じてる。

 

今日はプレゼントなど大げさなことはできないが、母が好きな食べ物を買って一緒に食べようと思う。

 

私は私の母の子に生まれてよかった。

 

生まれ変わっても母のもとに生まれたい。

 

母の日に感謝を込めて。