世界の終末と言われてた去年、私は自分の終末を迎えた気がした。
長かった髪をショートにして、知り合いに「ショックでも受けたのか?!」といっぱい言われたw。
本当に何回も何回も言われた。
それで、私もそう思うようになってしまった。ちょっと「新しい自分」になって、強そうに見えてるから、まだ前に向けて進められるだろう…と思い込んだ…
だが、よく考えたら、誰でもわかる。
強さって、30cmの髪で証明できるものではない。
実はずっと切りたかった。
5cm、10cm、だんだん短くしてた。ただ、誰も気付いてなかっただけ。
最後に決心を固め、一気でショートになったから、やっと「あれ?髪切ったね!」と気付いてもらった。
変わることは前後を比べないとわかないの。
最初から最後にジャンプして、やっと違いが見え、「物是人非」って言葉も理解できるようになる。
十年前の私も、日記を書く習慣がある。今と違って、ノートで書いて、誰にも見せない。
夏休みの時帰国した。部屋を片付ける時、その日記を見つけた。
どうでもいいことを一々記録して、大人になった時の自分を想像してた。
私は脚が痺れるまで、その日記を読んだ。
それで、あることがはっきりとわかった……
「私は、彼女が憧れてる大人になれなかった。」
でも、これは私、彼女が想像してた私より疲れて、傷だらけだが…大人らしい。
彼女の想像で、そろそろそばに出てくる人や、絶対に私から離れない人や、全部違う状態に表れてる…
なるほどね。
もうこんなに時間が経ったね。
いろいろ変わりましたね。
と、急に気付いた。
映画でいろんな人のいろんな人生を見た。長い長い何十年のことを二時間ぐらいで語ってしまう。
つい思ったの。
何十年後、私はどんな人生を思い出せるだろう…
今の自分と同じく、何回も何回も自分が想像通りになってないとはっきりわかるなのか…
でも、これこそは私、血も肉もあって、記憶いっぱいで存在している。
日記に万年筆で書いた「私」ではない。
誰に憧れてることがある。
でも、例えその「誰」は自分のことだとしても、それは存在していない人間だ。
どんな人になるのは自分の経験次第だ。何を得て、何を失った。
でも、それは死ぬまで答えは出ないだろう。
いつか何が起こる。普通にわからないから。
唯一決まってることは、「人はいずれ死ぬ」。
だから、私は「死亡」って言葉を避けないと言うか、憧れがあるの。
死はダークナイトみたいに私の人生の終末で私を待っていると想像するたび、言葉で言い表せない安心感が出てくる。
私は自分に結末がいずれに訪ねてくるとわかる。
大多数の人みたいに、想像する様子と違う人になって、最後に予想通り自分の死を迎える。