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清多夢クラブ

ランして、歩いて、観て思うことを・・。

 皇居東御苑の二の丸地区は、本丸地区の東側に位置する。二の丸は、本丸との間に約10mの段差があり、本丸地区の崖下にあたる。自然の湧水もあるので、庭園を造るのに適していた。二の丸地区には、庭園の他に雑木林、菖蒲田、諏訪の茶屋などがある。[撮り溜めた写真から]

 二の丸庭園のオリジナルは、寛永7年(1630年)第3代将軍家光の命で、小堀遠州の手により「池泉回廊式」として造られた。現在の庭園は、9代将軍家重時代の絵図をもとに、昭和40年に復元された。池の中には「ヒレナガニシキゴイ」が泳いでいる。平成天皇様の発案により、インドネシアのヒレナガゴイと日本の錦鯉を交配して生まれたという。

 庭園の北西側敷地に、「諏訪の茶屋」がある。明治時代に吹上御苑に建てられた御休息所として使われていた茶屋を移築したもの。明治期の数寄屋造りで、優美な外観を保持している。雑木林では、季節の草花が観察できる。ハンゲショウ、キンミズイト、ヤマハギ、ユリなどが咲いていた。
 

写真1 皇居東御苑 二の丸庭園。

 

写真2 二の丸池に咲くアサザ。

 

写真3 小滝とヒレナガニシキゴイ。

 

写真4 諏訪の茶屋と都道府県の木。

 

写真5 雑木林のハンゲショウ、キンミズイト。

 

写真6 ヤマハギと湧水井。

 

 旭川に向かう途中、中富良野のファーム富田に寄る。年間100万人が訪れる人気観光地となっている。広大な敷地(約20ヘクタール)に、12の花畑があり、6月から10月まで楽しめる。曇り空ではあるが、「倖の畑」一面は、紫色に染まっていた。ラベンダーの絨毯のように・・。蒸し暑かったので、ファーム特産のソフトクリームを食べる。

 富田家が富良野原野に鍬をいれたのは明治後半のこと。以後、昭和に入り、フランスからラベンダーの種を取り寄せ、各地で実験栽培がおこなわれた結果、富良野地区で栽培適地となる。初めて富田畑10アールでラベンダーが栽培されたのが昭和33年。順調に事業が発展するかに見えたが、そうは行かなかった。

 ラベンダー栽培は、昭和45年にピークを迎えた。250戸×230ヘクタールの規模を誇った富良野地区。しかし安価な輸入香料により、ラベンダー栽培は急減に衰退して行く。昭和51年に転機がやってきた。一枚の写真[国鉄カレンダー]だった。北国の自然と美しいラベンダー畑が造り出す景色を求めて日、人々が遠くからやって来る。
 

写真1 ラベンダー畑と十勝岳。

 

写真2 ファーム富田の「倖の畑」。

 

写真3 中富良野の紫ジュータン。

 

写真4 ポプラ並木と「倖の舎」。

 

写真5 美しいラベンダー。

 

写真6 動物の置物と国鉄カレンダーに採用された写真。

 皇居東御苑に、急勾配の汐見坂がある。江戸幕府による江戸城築城の頃、この坂近くまで日比谷入り江が入り込んでいたので、海を眺めることができたという。今は高層ビルが壁のように建ち並ぶ。汐見坂は、本丸と二の丸をつないでいたもので、坂の上には汐見坂門があったという。

 本丸大芝生と大奥跡の周囲には、季節の花木が植えられている。訪れ日、ヤブミョウブ、ハアザミ、タイサクボクなどが見られた。広場の西端、蓮池濠の石垣の上に富士見多門があり、内部を公開している。近くにミニバラ園と枯れアジサイが見られた。

 本丸大芝生の東側に、本丸休憩所(売店)とトイレがある。その裏手に展望台が整備されていた。展望台の眼下には白鳥濠とその石垣がある。そして汐見坂と二の丸雑木林とパレスサイドビルの屋上部が見えた。
 

写真1 東御苑の汐見坂。

 

写真2 石積みの坂道と天守台。

 

写真3 蓮池濠石垣上の富士見多門。

 

写真4 本丸展望台と景色。

 

写真5 ヤブミョウブとアジサイ。

 

写真6 ハアザミとタイサンボク。

 8月の盆を前に移動のピーク時を避けて、盆の供養、ミニ樽同期会等の旅行をする。札幌市中心部に3泊した。2か月以上前に、自由行動有の格安旅行ツアーを購入。2人して暑い関東から少しだけ抜け出した。

 北区琴似にいる親族の三回忌で線香をあげた。その後、夕食に回転寿司「なごやか亭新琴似店」で食事する。順番待ち5組を経て、テーブル席に座る。回転寿司というが、店員さんがその都度手渡してくれる。豊富なメニューと新鮮なネタが売りのようだ。小生らは大満足・・。

 鮨処なごやか亭は、釧路市内に本社を置く「三ッ星レストランシステム」(創業1981年)が運営している。回転寿司18店舗の他に、焼き肉店、とんかつ店など、北海道を中心に展開している。2007年に新琴似店が開店。いまや、地域の人気店に定着しているようだ。
 

写真1 羽田空港第1ビル(JAL)。

 

写真2 羽田空港管制塔。

 

写真3 展望デッキと羽田スカイアーチ。

 

写真4 鮨処なごやか亭の玄関飾り。

 

写真5 美味しく食べた。

 

写真6 食後の皿をチェック・会計。

 東御苑の本丸芝生広場の北側に、かつての江戸城天守台がある。その南エリアには、江戸城本丸御殿が建ち並び、「表」-「中奥」-「大奥」と云う3つの空間に分かれていた。現在、芝生が敷き詰められ、その上で誰もが寛ぐことができる。 

 天守台および天守は、三代の将軍が代替わり度に築き直された。将軍権力の象徴を誇示すめたにも・・。寛永期の天守(家光)は、五層構造で高さ60mに達する黒塗りだったという。しかし明暦3年(1657年)の大火で焼失する。前田家によって、高さ12mの花崗岩の天守台(46m×42m)が造られるも、以後天守は築かれていない。

 大奥御殿跡地東側に本丸休憩所に隣接して、江戸城天守復元模型が公開展示(2020年9月から)している。寛永期天守の1/30スケールの模型。建物の壁は、銅板と漆喰、最上の棟に金色の鯱が輝いている。寛永期、江戸の町にそびえ建つ豪壮な天守だったに違いない。
 

写真1 寛永期の江戸城天守台。

 

写真2 花崗岩積の天守台と出入口部。

 

写真3 天守台の展望台。

 

写真4 江戸城天守復元模型(1/30スケール)。

 

写真5 天守台に載る天守(合成)。

 

写真6 本丸御殿配置図と江戸城図屏風の一部。