清多夢クラブ

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ランして、歩いて、観て思うことを・・。

 厳島(宮島)のシンボルは、言うまでもなく社殿から沖合200mに建つ「朱丹の大鳥居」。高さ16.6m×棟長24.2mの重量感ある海洋建築物。2本の主柱と4本の控柱が一体となって、海の中に立つ姿は荘厳だ。干潮時に訪れたので、手の触れるほどの近くで観ることができた。

 今かに850年前の1168年に、平清盛によって創建されたという大鳥居。現在の大鳥居は、明治に入り造営され9代目とか。大内義隆らが再建した5代目の鳥居から、神明形から6本柱の「両部鳥居」になったとされる。その後、戦国期の毛利氏、江戸時代の浅野氏が再建・維持して、国の重要文化財となっている。

 大鳥居が海に建っていられるのは「浮遊構造」にある。玉石を鳥居なかに収めて約60トンの重量で自立している。但し、砂地に松杭を多数打ち込み、花崗岩の布石を敷き詰め地盤改良している。柱は、海水からの腐食に備えて「根継ぎ工法」を採用している。足元の部分を切断し別木を接ぎあて、特殊な顔料で塗装仕上している。2020年に補修工事が行われた。
 

写真1 厳島の「朱丹の大鳥居」。

 

写真2  能舞台と左楽房との間から大鳥居を見る。

 

写真3 干潮時の大鳥居。

 

写真4 6本の柱を持つ両部鳥居。

 

写真5 根継ぎ工法により柱が長年保持。

 

写真6 大鳥居から社殿を観る。鳥居の扁額は、二つの神社名が。

冬の夕方、江戸川土手を歩くと、富士山に懸かる笠雲を見ることがある。背後に夕日があるため逆光となり、笠雲は黒色に見える。夕焼けのスクリーンに、影絵が映し出されたかのようだ。観天望気によれば、富士山が笠を被れば、天気は崩れて 降雨や強風が吹くとされる。

 風向きだろうか、富士山南側の雲が変化する。何やら影絵模様。山頂きを覆う笠雲を胴体として、嘴の長いシギからウミガメ、クワガタ、そして競走馬を連想した。

 影絵は古く、紀元前3世紀頃の中国が発祥とされる。人の心に寄り添い、癒しを与えるものだったという。シルクロードを通じて世界各地に広がる。日本には江戸時代、「手影絵」がはやる。明治にはいり「影絵劇」が始まったという。光と影が生み出す幻想的な美しさに魅了された時代があった。
 

写真1 山頂笠雲に夕日が落ちてゆく。

 

写真2  夕笠雲影絵「シギ」。

 

写真3 夕笠雲影絵「ウミガメ」。

 

写真4 夕笠雲影絵「クワガタムシ」。

 

写真5 夕笠雲影絵「競走馬」。

 

写真6 かめの甲羅のようになった。

 厳島神社へは残念であるが、干潮時の訪れとなった。世界に類を見ない海上社殿として、今日まで受け継がれている。厳島そのもの神聖な場所として、一般の人々が直接足を踏み入ことを避けるために海の中に神社が造られたという。古代から「神に斎(いつ)く島」として、宮島への特別な信仰が背景にあったようだ。

 現在のような壮麗な海上社殿は、平安時代末期(1168年)に平清盛によって造営された。平家が瀬戸内海の制海権を握るためには、厳島の神の加護が不可欠と考えた。満潮時、社殿が海に浮んで見える幻想的な景観を創りだす。850年前、神と人間とを結ぶ懸想的な聖域となった。

 当時、干満差4mに及ぶ海岸に社殿を造る技術あったことに注目する。海底深くに木製木杭を打ち込み、それらの杭柱を横材で一体化して、海水の力に対抗するよう配慮されている。また、床板には隙間を設け、浮力がかからないよう工夫している。長さ280mに及ぶ朱色の回廊が橋のようになる。満潮時に訪れたい聖域だ・・。
 

写真1 干潮時の厳島神社。

 

写真2  客神社本殿と回廊。

 

写真4 延長280mに及ぶ回廊。満潮時は浮橋となる。

 

写真5 能舞台と反橋。

 

写真6 平清盛像と世界遺産碑。

 新年あけましておめでとうございます。今年も「清・多・夢」をよろしくお願いいたします。と共に、皆さまのご多幸をお祈りします。馬のように、跳ねて、駆けて、目標を達成する、「午年」になるよう願っています。

 加速化する少子化。昨年国内で生まれた日本人の子どもは、66万8千人程度だという。高齢化に伴う多死社会とも重なり、人口減少人数が年間100万人とも云われている。これは千葉市の人口に匹敵する。60年ぶりに「丙午(ひのえうま)」なった2026年、日本の迷信で更に出生数が減るのか・・

 働き手が減少して行くと、経済活動も衰退して行きそうだ。社会インフラ保持、病院・介護関係の維持、公共交通、自衛隊員の確保など課題が山積する日本。国家予算の1/4を借金(国債利払)でカバーする国家予算。少なくなった子ども世代に、大きなツケを回すことのない日本社会であってほしい・・。
 

写真-1 厳島(宮島) フェリーから。

 

写真-2 白い富士山 北流山江戸川土手から。

 

写真-3 江戸川河川敷 「前初日の出」(12月31日)。

 

写真-4 丙午(ひのえうま)の大絵馬 地元駒木諏訪神社境内。

 世界遺産の厳島(宮島)へJR西日本フェリーで渡る。フェリー会社は、JR西日本と広電が運営する2社がある。乗船時間は10分間ほど。海上から厳島大鳥居と急峻な弥山(みせん)を見ることができる。標高535mの弥山は、古くから信仰の対象だった。弥山の山麓は、ユネスコの世界文化遺産の登録区域となっている。

 「神が宿る」と信仰されていた厳島。島の大きさは、東大東島に次ぐ約30km2で、網走湖程度。この島を瀬戸内海航路の要衝と見抜いた平清盛は、海上交通の安全祈願と理由で、当時困難だった海上神社を建設した。と同時に経済・軍事で優位に立つことができた。大陸との交易でも文化と富を手にいれ繁栄した。

 470年前、現在の厳島神社周辺で合戦が行われた。世に云う「厳島の戦い」だ。兵力で圧倒的に不利だった毛利軍が 陶春賢(すえはるたか)の2万の大軍を奇襲によって勝利した合戦(1555年)。元就は、3500の兵とともに包み浦に上陸・山越えして、モミジ谷に駐屯していた陶軍を壊滅させた。以後毛利家は、西国一の大名に飛躍してゆく。

 

写真1 厳島(宮島)に上陸。

 

写真2  JR宮島口駅と蘭陵王像。

 

写真3 宮島口フェリー乗り場と瀬戸内海。

 

写真4 干潮時の大鳥居。

 

写真5 宮島のフェリー乗り場と塔の岡(陶軍の本陣)を望む。

 

写真6 厳島合戦跡の案内板。