古事記を通読すると、だれでも、「穂穂手見」と「玉手見」の共通性に気づく。
「手見」という名辞が局所的に使われているからだ。これは、何の共通性か。
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・【牛】(Abhijit)………………………………………「穂穂手見」
・【室】(Pūrva Bhādrapadā)=【A】(牛、2)…………「玉手見」 ※分野説では「伊予国」(愛比売)
その共通性は、端的に言って「牛」だろう。その共通性が在るからこそ、
「ḫꜥw-ḏrt」(手見、904)=【AΣ十A】(六、904)=「nḫwt」(長息、576)が、
【ALP】(牛、132)=「Abhijit」(勝)=「nḫtw」(勝、576)、に重なるわけだ。
#ここで、【DM・Y】(己が血、75)=【KLBA】(犬、75)=「Spdt」(シリウス、665)は、
#【牛】(Lyra)=「makara」(鰐)=【LWY十N XWYA】(蛇レビヤタン、665)を含意。
#この時に、「穂穂手見」の「手見」(デミ)は、【DM・Y】(己が血、75)を表すと言える。
#【XWA RXMA】(愛比売、379)=【SWRA】(lizard、379)=「mryt」(鰐、890)…だ。
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以上を十分に咀嚼するならば…「師木津日子玉手見」(安寧天皇)に於いて、
「津日子」の「津」、つまりは、「mryt」(quay、890)は、「mryt」(鰐、890)を含意。
結果として、【XWA RXMA】(愛比売、379)=【SWRA】(lizard、379)を含意。