>ヤムハド(Yamhad、 Jamhad、 Yamkhad)は古代のシリアにあったアムル人の王国。
>その中心はハルペ(ハラプ、ハルパ)の街(現在のハラブ、別名アレッポ)にあった。
>アムル人のほかにもフルリ人が住んでおり、フルリ文化の影響がみられる。
(※Wikipediaより)
>この後のヤムハドについては、ヒッタイトによる破壊の1世紀後に再建されたアララハの王
>イドリミの石碑に言及されている。これによれば、紀元前16世紀末から紀元前15世紀初頭
>の時期、ハルペの王子だったイドリミはエマルへ逃れ、カナンなどを放浪した後、ミタンニの
>王バラタルナ(紀元前1470年頃 - 紀元前1450年頃)の臣下となり、支援されてアララハに
>自らの王朝を築いたとされる。
(※Wikipediaより)
ミタンニ王国は、フリ人(フルリ人)が建国した国である。然るに、「Yamhad」は、
アムル人の王国だが、フリ人も住んでいて、フリ文化の影響が見られるらしい。
そもそも、「amurru」[MAR.TU](アムル人)は、「西」(鴨)を含意する。ところが,
「Ḫꜣrw」(フリ人、318)も、「ḥꜣrw」(鴨、318)を含意する。引用の通り、どういう訳か、
「Yamhad」の王子が、ミタンニ王の臣下となり、支援を受ける…それは、もちろん,
当初から、「Yamhad」に、「Ḫꜣrw」(フリ人、318)が関与してゐたから。そう言えよう。
#「ナニハツニ サクヤコノハナ フユコモリ イマハハルヘト サクヤコノハナ」という,
#いわゆる「難波津の歌」は、第一義的な意味は、何も難しくはない。しかし、もともと、
#「春」(波留)が、「ḥꜣrw」(鴨、318)=「kꜣ-mꜣw」(新春、91)=【虚】(1月1日)、であれば、
#歌われる「ハルヘ」(ハルベ)は、古の「ハルペ」を記憶するもの…そういう話になろう。
#その後の「Mṯn」(ミタンニ)が、周知の如くエジプトと深い関わりを持つに至る点に注意。
* * *
ちなみに…神格化している「Mṯn」(案内人・門番)が有る。それは、常に、(※「mṯn」(道)に同じ)
「‘rrwt wrt」(偉大なる門、1994)を掌る。その「‘rrwt」(門、1187)こそが、
古事記の【十ROA RBA】(大戸、1187)だ。そして「‘rrwt」(門、1187)は,
「フリ人」の親戚筋たる「ウラルトゥ人」や「アララト山」に繋がる言葉である。
したがって、「竈神」(大戸比売神)は、「Mṯn」(ミタンニ)にまで繋がりを持つ。
翻って言えば、ゾロアスター教の成立に関わるのが、「ウラルトゥ」、であろう。(※これは単なる推測)
