古事記の「阿治志貴高日子根神」に関して、新たに気づいたことをメモしておく。それは、
「Յd」(憤怒、7)に掛かる「‘ḏ」(破壊する、88)が、「ḏ‘」(嵐、88)を含意する、ということだ。
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「‘ḏ」(破壊する、88)には、「‘d」(破壊する、85)の形も有るので、もちろん、
この「‘ḏ」(破壊する、88)は、間違いなく、「Յd」(憤怒、7)に掛かる。然るに、
「‘ḏ」(破壊する、88)と同義の「sk(i)」(破壊する、100)という語が存在する。
「阿治志貴高日子根神」が、「大怒」して行なった行為は、端的に言うならば、(※「切伏」や「蹶離遣」)
「sk(i)」(破壊する、100)である。即ち、「志貴」は、「sk(i)」(破壊する、100)だ。
そもそも、「Յd」(憤怒、7)=「‘ḏ」(破壊する、88)=「sk(i)」(破壊する、100)だ。
#もちろん、ここで、大事なのは、上で述べた「‘ḏ」(破壊する、88)=「sk(i)」(破壊する、100)が、
#「ḏ‘」(嵐、88)=「νίκη」(勝、88)=「nḫtw」(勝、576)=「nḫwt」(嘆き、576)を含意する点だ。
#「sk(i)」(破壊する、100)は、「št」(百、900)=「anāḫu」(to sigh)=「nḫwt」(嘆き、576)…を含意。
#そういう話である。「志貴」(破壊する)は、「迩藝」(勝)=「嘆き」(長息)の様相を伝える言葉、だ。
#「阿治志貴」(忿而飛去)の「志貴」(飛ばし去る)は、まさしく、「迩藝」(勝)=「嘆き」(長息)を含意。
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ちなみに…「ṯՅw」(息吹、109)に即せば、「ṯՅw-Յw」(長息、118)=【XWSKA】(忍、118)。
そのさいに、「日下」(玖沙訶)についても、「迩藝」(勝)=「嘆き」(長息)を含意するわけだ。
【十YMNA】(南、632)=【十MNYA】(八、632)=【HA】(Hē、8)=【胃】(長息)に注意せよ。