「穂穂手見」であるところの「山佐知毘古」について、一つの知見を書いておく。
ここでは、「穂穂手見」の「穂穂」が「山佐知毘古」に繋がっていることを述べる。
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端的に言って、「知訶知訶」=「tkՅ-tkՅ」(穂穂、1064)=【AN十十A】(女、1064)は、
【XM十】(to burn with anger、559)=「ḥmt」(女、559)に他ならない。つまり、単純に、
「穂穂」=「火火」=「炎」は、「Յd」(忿怒、7)を含意する。そういう話だろう。その一方,
「bik-št-ḏw」(山佐知毘古、968)は、【GZR十A LMANA】(津島、968)に等価。即ち、
「山佐知毘古」は、正しく【鬼】(Puṣya)=【K】(掌、30)=「kՅpw」(鰐、129)を含意する。
#まさに…「tkՅ-tkՅ」(穂穂、1064)=【AN十十A】(女、1064)は、
#【XM十】(to burn with anger、559)=「ḥmt」(女、559)であって、
#「Յd」(忿怒、7)・「kՅpw」(鰐、129)を含意。又、「山佐知毘古」も,
#「mryt」(津、890)=「mryt」(鰐、890)=「kՅpw」(鰐、129)である。(※【牛】(Lyra)である)
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以上に鑑みるなら…「穂穂手見」(ホホデミ)の「手見」(デミ)は、少なくとも、
エジプト語の「dmi」(津、75)=「mryt」(津、890)=「mryt」(鰐、890)を表す。
さらに、「dšrw」(血、712)が、「dšrw」(wrath、712)を含意することからすると、
「手見」(デミ)がセム語の【DM・Y】(己が血、75)を表すことも完全に確定だ。
「dmi」(津、75)は、【DM】(血、55)に同じ。【KWZZA】(shivering、55)を含意。
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言い換えるならば、【MZLA ΘWRA】(山幸、419)=【RWMNA】(石榴、419)=「zaqru」(高)は、
【ABNA OSQA】(堅石、419)=【QYΘWS】(他国人、307)=「makara」(和迩魚)=【牛】(Lyra)。
「bik-št-ḏw」(山佐知毘古、968)は、【GZR十A LMANA】(津島、968)=「kՅpw」(鰐、129)なのだ。