メソポタミアにおいて、「babbar」[𒌓](白)は、そのまま、「ud」[𒌓](日)を表す。
エジプトでも、「ḥḏ」(白)には、限定符として、[𓇳](日)が添えられる。だとすれば、
基本中の基本は、【XWRA】(白、318)=【ΣMΣA】(日神、852)、という話だろう。
しかし、ややこしいのは、エジプトで、「ḥḏ」(白)が、「ḥḏ」(銀)に掛かる点である。
実は、「銀」(シロガネ)という日本の呼称は、この点を反映するものになっており、
素直に受け取れば、「銀」(シロガネ)が、「ud」[𒌓](日)を表すことになるはずだ。
#ちなみに、「ḥḏ」(白)は、「ḥḏ」(矛)にも掛かる。「新羅国主」の子、「天之日矛」において、(※「mace」)
#「日矛」という漢字二字の名は、まとめて、「ḥḏ」(日矛)と訓める点に注意。付記しておく。
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「ややこしい」と言ったのは、一方に、錬金術の基本フレームが在るからだ。
錬金術では、「金」=「日」であり、「銀」=「月」である。だが、当該の混沌は、(※「混沌」=「重層性」)
「月はミューア」というテーゼにも付随する。つまり、【MHWA】(being、65)は、
【XMH】(日、65)に重なるのに、何故、「月はミューア」と言われるか、である。
ところが、こう言える。「月」は、「銀」(シロガネ)であって、「白」(シロ)を含意。
その「ḥḏ」(白)は、「r‘」(日)を含意。「mՅ‘-kՅ-r‘」(真春日)を含意。このとき、
「makara」(和迩魚)を含意。その「和迩」は、「wnn」(to be)である。そのさいに,
「銀」(シロガネ)であるところの「月」は、確かに、【MHWA】(being、65)を含意。
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直前に示した説明は、「rašû」[TUKU](得)=「r‘-šw」(日)に整合する。
「月」(都久)は、「銀」(シロガネ)で、「白」(シロ)を含意する。だからこそ、
アッカド語の「rašû」[TUKU](得)は、エジプト語の「r‘-šw」(日)、なのだ。
つまり、「月」(都久)と訓む時点で、当該の「月」(都久)は、「R‘」(日神)だ。
「銀」(シロガネ)という訓みは、「月」(ツク)という訓みに呼応する。これ即ち、
存在する「月光」は、「日光」の反射光。実際には「日光」。こんな認識である。
「月光」は、「月光」として存在する。しかし…それは、「日光」のヴァリアントだ。