「日」(日光)&「月」(月光)の関係について考える | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

メソポタミアにおいて、「babbar」[𒌓]()は、そのまま、「ud」[𒌓]()を表す。

エジプトでも、「ḥḏ」()には、限定符として、[𓇳]()が添えられる。だとすれば、

基本中の基本は、【XWRA】(318)=【ΣMΣA】(日神852)、という話だろう。

 

しかし、ややこしいのは、エジプトで、「ḥḏ」()が、「ḥḏ」()に掛かる点である。

実は、「」(シロガネ)という日本の呼称は、この点を反映するものになっており、

素直に受け取れば、「」(シロガネ)が、「ud」[𒌓]()を表すことになるはずだ。

 

#ちなみに、「ḥḏ」()は、「ḥḏ」()にも掛かる。「新羅国主」の子、「天之日矛」において、(※「mace」)

#「日矛」という漢字二字の名は、まとめて、「ḥḏ」(日矛)と訓める点に注意。付記しておく。

 

*   *   *

 

ややこしい」と言ったのは、一方に、錬金術の基本フレームが在るからだ。

錬金術では、「」=「」であり、「」=「」である。だが、当該の混沌は、(※「混沌」=「重層性」)

月はミューア」というテーゼにも付随する。つまり、【MHWA】(being65)は、

XMH】(65)に重なるのに、何故、「月はミューア」と言われるか、である。

 

ところが、こう言える。「」は、「」(シロガネ)であって、「」(シロ)を含意。

その「ḥḏ」()は、「r‘」()を含意。「mՅ‘-kՅ-r‘」(真春日)を含意。このとき、

makara」(和迩魚)を含意。その「和迩」は、「wnn」(to be)である。そのさいに,

」(シロガネ)であるところの「」は、確かに、【MHWA】(being65)を含意。

 

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直前に示した説明は、「rašû」[TUKU]()=「r‘-šw」()に整合する。

」(都久)は、「」(シロガネ)で、「」(シロ)を含意する。だからこそ、

アッカド語の「rašû」[TUKU]()は、エジプト語の「r‘-šw」()、なのだ。

つまり、「」(都久)と訓む時点で、当該の「」(都久)は、「R‘」(日神)だ。

」(シロガネ)という訓みは、「」(ツク)という訓みに呼応する。これ即ち、

存在する「月光」は、「日光」の反射光。実際には「日光」。こんな認識である。

月光」は、「月光」として存在する。しかし…それは、「日光」のヴァリアントだ。