情報そのものをパーツとして持っていたとしても、持っているだけで、
それが理解できない…ということは、別に、珍しい話でも何でもない。
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今までも、古事記の「八尺」(八阿多)の「尺」(阿多)に当たる言葉が、
アッカド語の「ūṭu」(span)であることは、情報としては、分かっていた。
シュメール語の「ama」(母)は、アッカド語の「ummu」(母)。だとすると,
「阿多」という形が有って「ūṭu」(span)へ変化した可能性が考えられる。
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しかし…それ以前に、見落としてはならないことが有る。それは、
「ūṭu」(尺)が、「utu」(時)に掛かり、「utu」(日神)を含意すること。
「阿多」(尺)から、「ūṭu」(尺)へ、の変化は、これが有ったとしても,
単なる音の変化ではなく、「utu」(時)に関係するはず。そのときに、
もともとの「阿多」(尺)は、「Յt-‘Յ」(時大)=「大いなる時」、である。
#ちなみに、【ZBNA RBA】(大いなる時、378)は、【SHRA】(月、378)に重なり、
#【SYNA】(月、152)=【OYMA】(雲、152)=【MKRA】(朱、382)に重なる。即ち、
#「Յt-‘Յ」(大いなる時)は、「makara」(和迩魚)=「mՅ‘-kՅ-R‘」(真春日)、を含意。
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「阿多」=「Յt-‘Յ」(大きな時)は、換言すれば、「tr-‘Յ」(大きな時)であり、これは、
「tr-‘Յ」(大きな願い)を含意する。「大きな贈り物」(大きな希望)を含意する。結局,(※「大きな気泡」だ)
「八尺鏡」の「尺」(阿多)は、【BGBWGA RBA】(大きなブクブク、328)を含意する。
それを、「ヘルメスの杖」と言う。さらには、【QYSA D・XYA】(命の木、328)とも言う。
さらには、「意富本杼」=【XDWA RBA】(大演舞、328)とも言う。以上の通りなので,
「阿多」(大いなる時)とは、「泡が立ち昇る」、その時、「スパスシフィカ」の「浮上」の時。
「静かに 静かに 時を待つ事」と表現されるところの「時」。こんな話になるはずである。
もちろん、この場合に、印欧系の「hour」(時)は、「阿和」(泡沫)と同源だ。これが分かる。