「河俣稲依比売──大多牟坂王」の母子において、「大多牟坂王」は、
「多遅摩国造」の祖とされる。ひとまず、仮名表記の「多牟」が、やはり、
地名の「多遅摩」を含意する、ということを確認しておく。非常に明快だ。
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非常に怒った状態は、今日でも、「沸騰」に譬えられる。
これは、「水」が温められ、「湯」」になった状態であって、
これが分かると、「多牟」と「多遅摩」の関係が氷解する。
・「多牟」………「tՅ-mw」(熱水) ※「熱い水」(=湯)の意。
・「多遅摩」……「tՅ-Յd-mՅ‘」(熱怒真) ※「真の熱い怒り」の意。
「多・阿遅・摩」において、母音連続が縮約し、「多遅摩」。
この語の中核は、「多遅」(つまり多・阿遅)。そういう訳で、
やはり、「多牟」(湯)は、「多遅摩」(真の熱い怒り)を含意。
#以上に鑑みると、「河俣」(迦波麻多)の「俣」(麻多)についても、
#「mՅ‘-tՅ」(真熱)を表す。「真に熱いもの」を表す。そう言えよう。
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ちなみに…「湯」(由)は、「由」(島)を含意。【SYMA】(plantation、142)を含意。又、(※「田」である)
「tkՅ」(穂)=「ḥՅw」(wealth)=【SYMA】(宝、142)=「tՅ-kՅ-R‘」(熱春日)を含意。
また、「ty」(願)=「tr」(願)=「tr」(時)=「utu」(時)」=「utu」(日神)=「R‘」(日神)、
である。また、[𒅆](千)=「igi」(目)=「kՅ-R‘-šw」(春日)=「R‘」(日神)、でもある。
この場合、「河」(迦波)は、「kՅ-ḫՅ」(春千)=「春目」=「春日」、ということになるはず。