「手力男」=「日神」=「血のモノリス」について考える | ■朽ち果てた館■

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ARIONの預言解読──音楽に載せて

面白い話が有る。「力 = 血から」というテーゼは、漢語で表現すれば、

」=「自血」である。「」の字は、「」の意味も有るが、英語で言う

from」の意味、日本語で言う「~から~より」の意味も有る。要するに,

自血」と書いたさいは、「己の血」の意味を持ち「血から」の意味を持つ。

 

ところが…「」の意味の「」は、【】(20)、即ち、【】(20)であって、(※【】(両児)に当たる)

これは、パーリ語の「kara」()であり、エジプト語の「kՅ-r‘」(春日)に当たる。

したがって、「血から」(自血)と表現したさいは、「から」の部分が、「kara」(),

即ち、エジプト語の「kՅ-r‘」(春日)、古事記の「」(訶良)を表してゐるわけだ。

 

#とすれば…詩的メッセージにおける「己が血」(=自血)は、何処から見ても、

#「血から」を表す。「」(チカラ)を表す。【】(20)=「utu」(日神)を表す。(※【】(20)を表す)

 

*   *   *

 

また、加えて「dšrw」()=「dšrw」(wrath)=「沫雪」(天照大御神)は、

utu」(日神)=「utu」()=「tr」()=「tr」()=「ty」()であって、

実は、倭語の「」()は、エジプト語の「ty」()に重なり、このときに,

」(訶良)=「utu」(日神)=「utu」()=「tr」()=「tr」()を含意。

結局、「」()=「ty」()=「utu」()=「utu」(日神)=【】(20)。

】(20)=「i」()=「i」()=「tri」()=「tr」()=「utu」(日神),

という話であり、「」も、「」も、「」も、「」も、「」も、「」(沫雪)、だ。(※「血のモノリス」である)