>私ARIONが、しかしあまりこうして解釈に乗り出すのは、
>方針に反することでもあるので、最小限に留めることとする。
>これからが「大詰めの本番(オホツメ ノ ホンハン)」である。
>今後の解読に期待する。
(※世紀末フォーラム・14番会議室・94/04/26)
もちろん…その時々において、時事的なメッセージが出されていたわけで、
その意味で、「大詰めの本番」(オホツメ ノ ホンハン)は、過ぎてしまった。
だが、そもそもの話として、「大詰めの本番」という言葉が存在するからこそ、
それを用いた時事的なメッセージが出せる。この点に、十分に注意すべきだ。
* * *
「大詰め」(オホツメ)の「本番」(ホンハン)は、「本番」(ホンハン)が字音である、
という点が大事だろう。古事記の当時であれば、「本番」(ホホ)=「炎」、である。
「本」(ホ)は、「mwt」(母)=【YΣWO】(根元、507)=【十W】(印、507)を表すが, (※【十】(印、500)だ)
一方、「番」(ホ)は、「yama」(両児)=「maš」[𒈦](goat)=「wn」[𓇬](花)を表す。
「本番」(ホンハン)は、即ち、【十】(印、500)=「maš」[𒈦](goat)=「wn」[𓇬](花),
なのである。したがって、「大詰め」(ヲハリ)=【十】(印、500)=「丸迩」(鰐)である。
#そういう訳だから、「大詰め」(オホツメ)の「本番」(ホンハン)、という語句は、
#「オホツメ カイカシ マルニ」(大詰め 開花し 丸迩)、という語句に重なる。
#「カイカシ マルニ」(開花し 丸迩)は、「wn」[𓇬](花)=「丸迩」(鰐)の伝承。