「天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩藝」は、「日子番能迩迩藝」にも作る。
更には、「天津日子番能迩迩藝」にも作る。「天津日高日子番能迩迩藝」にも作る。
「火遠理」の別名である「天津日高日子穂穂手見」は、「虚空津日高」と呼ばれたり、
又…「天津日高之御子、虚空津日高」と呼ばれたりする。これらの「日高」の部分は、
新しいテキストだと、「比多訶」と訓まれるが、従来は、湯桶よみで、「比古」と訓んだ。
* * *
どちらか一方を選ばなければならない!…ということではなく、この「日高」は、
訓よみで、「比多訶」とも読むし、湯桶よみで、「比古」とも読む。そういうことだ。
此処で注目したいのは、「天津日高」の「日高」が、「比古」と読まれる意味合い。
これは、「日子」(比古)と書く代わりに、「日高」(比古)と書いているように見える。
「天津日子」と書く代わりに、敢えて、「天津日高」(阿麻都比古)と書くわけである。
わざわざ、このように書くのは、「高」(古)に「子」(古)を重ねる意図を持っていよう。
遡って言えば、「高天原」の「高」(多訶)に、「子」(古)の意味を加えているのである。
#「an」(天)には、「an」(upper)の意味も有るので、「高天」の全体で、「an」(高天)を表す、
#と言えよう。しかしながら…単に「天原」ではなく、「高天原」に作る意図は、「Nwt」(天)が、
#「ama」(母)=「karašu」(子宮)であり、「bābu」(子)=「bābu」(戸)=「arītu」(楯)だからだ。
#「母」≠「子」ではあるが、「母」は、「子」を宿す者であって、とりわけ妊娠中は、母子一体だ。
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「多遅摩比多訶」の「比多訶」は、おそらく、パーリ語の「piṭaka」(basket)である。(※既稿を参照)
其の「比多訶」(籠)は、知られる倭語において、「古」(籠)であり、これに鑑みて、
実のところ「日高」(比多訶)も、「籠」(古)を表し、「子」(古)を表す。そういう話だ。
「子」(古)は、「nb」(籠)=「nb」(主)=【MRYA】(主、372)=「mor」(孔雀)なので,
結局は、「高」(古)も、「比多訶」(籠)を含意する。即ち、「毛理」(孔雀)を含意する。
つまりは、「日高」(比多訶)も、「ama」(母)が宿す「子」(古)、「毛理」(孔雀)を提示。