雄略記の帝紀的部分で、「都夫良意富美が女、韓比売」と出てくる人物は,(※この「女」は「娘」の意)
一つ前の安康記の旧辞的部分で、「訶良比売」と出てくる。即ち…ここには、
訓字で書けば「韓」と書ける「訶良」(カラ)という言葉が存在。訓詁を考える。
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詩的メッセージにおいて、「井戸の柱 井桁」と言われる通り、
「韓」(井桁)は、「井戸の垣を成す柱」を意味する。したがって、
やはり「韓」(井桁)は、「井」(井戸)を含意する…それどころか、
そもそも、「井」の字には、「井桁」の意味も有る。端的に言えば,
「韓」(井桁)=「井」(井桁)なのだ。その際、「韓比売」の「韓」は、
ナクシャトラの【井】(Punarvasu)の別表記、と見て差し支えない。
・【井】(Punarvasu)……【Y】(手、20)
・【鬼】(Puṣya)…………【K】(掌、30)
・【柳】(Āśleṣā)…………【L】(lamādu、40)
#ところが…月宿とアレプビートの対応において、【井】(Punarvasu)は,
#【Y】(手、20)であり、さらに、その【Y】(手、20)は、梵語で「kara」(手)。
#その場合に、「韓」(訶良)という訓みは、「韓」(井桁)=「井」(井桁)が、
#アレプビートの【Y】(手、20)を表すと承知し、「訶良」(手)と訓んだのだ。
#こう訓むことで、【井】(Punarvasu)=【Y】(手、20)、と追認しているのだ。
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念押ししておこう。上述の【井】(Punarvasu)と【Y】(手、20)の対応は,
今回の結論を導くために、こういう対応が在ると述べたものではない。
全く関係ない別の事柄…例えば、【室】(Pūrva Bhādrapadā)に当たる、
【SWSYA RBA】(Pegasus、474)が、「δύο」(二、474)=【A】(2)に、
重なる、といった事柄から、必然的に導かれた対応である。したがって、
いわゆる“トートロジー”には成っていない。その点に注意して頂きたい。