「天照大御神」は、いわゆる天孫降臨の場面において、「此の鏡は、
専ら我が御魂として、吾が前を拝むが如く、いつき奉れ」、と述べる。
その結果として、今日まで、この神の御神体は、「鏡」、になっている。
【NWRA】(鏡、369)は、【NWRA】(火、369)に重なる。その一方で、
【NWRA】(鏡、369)を作るのは、「伊斯許理度売」という女性である。
その際には、「伊斯許理」は、「izi-ĝar」(torch)と見るのがよいだろう。
* * *
「天照大御神」(=日神)を作るのは、「izi-ĝar」(torch)、即ち、
「dipāru」[GIŠ.IZI.GAR](torch)である。その点を踏まえれば、
この神は、「dipalû」[DI.BALA](distortion of justice)をも含意。
実際、「宇気比」の後の「詔別」は、「distortion of justice」だから,
「須佐之男」は、(怒り、) 悪態をつく …そう物語が展開している。
#「palû」[BALA](dynasty)は、「王朝」(王位継承)。また、「dynast」は、「世襲的君主」。
#「di」[DI](to speak)は、「non-finite imperfect stem of dug」と辞書に載る。したがって、
#「dipalû」[DI.BALA](distortion of justice)の原義は、「speaking about dynasty」だろう。
#この「dipalû」[DI.BALA](speaking about dynasty)=「distortion of justice」は明らかに、
#古事記で言えば、「天照大御神」が発した「詔別」だ。その「dipalû」[DI.BALA](詔別)が、
#「dipāru」[GIŠ.IZI.GAR](torch)に掛かり、「伊斯許理」=「izi-ĝar」(torch)、を示すのだ。